仏教 宗教 歴史

ウパカについて・・・これまでの《2つの間違い》を指摘してみます。(釈迦と最初に問答した人)

 

みなさん、こんにちは。

 

突然ですが、ウパカという人をご存知でしょうか?

 

この人は、釈尊(お釈迦様)に最初に出会っておきながら、去っていったという、仏教史においては有名な人です。

ウパカについては、これまでの仏教学者や文化人の見方には、〈間違い〉があるのです。

 

今回は、そのウパカについてのお話をしてみようと思います。

 

1、ウパカと釈尊との問答とは

 

1、まず、二人の商人が釈尊の弟子になっていた

 

釈尊(釈迦・ブッダ釈尊)が悟りを開いたあと最初に説法をした相手は、かつて苦行をともにした5人の修行仲間だった、というのが仏教の常識となっていますよね。

 

この最初の説法は「初転法輪(しょてんぽうりん)」と呼ばれます。

仏教史における重要な出来事の1つとなっています。

 

けれども実際には、まず、釈尊がさとりを開いて座禅思惟している間に、二人の商人から食事の供養を受けられたようです。

そしてこの二人は釈迦に帰依(きえ、弟子になること)したようです。

 

この二人に、釈迦がどれほどの説法をしたかはわかりません。

おそらくそれは非常に簡単なものであったものでしょう。

 

ともかく、商人たちは、釈尊の高貴な姿に接しただけで常人ではないことを感じて、弟子になったのでしょう。

ただ、この二人はそのまま釈迦の後に付き従っていったようではないようです。

 

 

2、驕慢(きょうまん)なバラモンと会う

 

また、同時期に、何事も「フン」「フン」といって、人を馬鹿にする驕慢なバラモンが、釈迦のもとを訪れていたと伝えられているのです。

 

この場合も釈尊は、特に仏教の根本教義を説くということはなかったようです。

ちょっとした問答をしただけで、バラモンは、「フン」「フン」といって立ち去ったようです。

 

3、法(教え)を説きに旅立つ

 

ウルヴェーラー村のネーランジャラー河畔の菩提樹のもとでさとりをひらいた釈尊は、自分の得たさとりを人々のために説くことを決心します。

 

しかし釈尊は、自分がさとった内容を理解しうるものがいるであろうかと思念したのです。

それはあまりにも難しい内容だからです。

 

ではいったい、誰なら自分の教えを理解できるのか。

そう考えたとき、かつて師事した(教えを受けた)二人の仙人ならば、かなり高度な智慧を持っていたから、自分が最初に教えを説くにふさわしいと考えたのです。

 

しかし、この二人はすでに亡くなっていたことがわかります。

(もちろん、釈尊のすごい霊眼で、お見通しになったのです)

 

二人の仙人とは?

出家してから最初に師事したヨーガの達人であるアーラーラ・カーラーマと、次に師事したウッダカ・ラーマプッタのこと。

 

そこで、次に、かつて苦行をしていた時に自分に仕えてくれていた5人の修行者たちに法を説くことにしたのです。

 

天眼によって、5人の修行者たちが、バーラーナシー(ベナレス)の仙人の住処・鹿の園に住んでいることがわかりました。

そして、バーラーナシーに向かって歩みを進めました。

 

その途中で、今日の主役のウパカと会うのです。

 

 

4、ウパカ、釈尊に出会う

 

聖求経(しょうぐきょう)というお経に、そのときの情景が描かれています。

 

アージーヴィカ教徒であるウパカは、釈尊の風貌があまりにも高潔で尋常でないのを見て、次のように話しかけます。

「尊者よ、あなたはもろもろの器官は清浄であり、皮膚の色は清らかで純白であります。

尊者よ、あなたはなにをめざして出家したのですか。

あなたの師はだれですか?

あなたは誰の教えを信受しているのですか?」

と。

 

ウパカは、釈尊の姿、雰囲気をみて、一目でこれはただものではないと感じ取ったようです。

 

先ほどの、何事も「フン」「フン」といって、人を馬鹿にする驕慢(きょうまん)なバラモンとは大違いですね。

 

ウパカには人を見る目があったのでしょう。

 

 

5、釈尊のウパカとの問答

 

すると釈尊はウパカに詩句をもって答えます。

われは一切にうち勝った者、一切を知る者である。

すべてを捨てて、妄執をなくしたから解脱している。

みずから悟りを開いたのであるから、誰を師とめざすであろうか。

われには師は存在しない。

われに似た者は存在しない。

神々を含めた世界のうちに、われに比敵し得る者は存在しない。

われこそは世間において尊敬されるべき人である。

われは無上の師である。

われは唯一なる正覚者である。

われは清涼となり、やすら帰しているいる。

法輪を転ぜんがために、わたくしはカーシー(=ベナレス)の町に往く。

盲闇の世界において不死の鼓をうたう

 

と、答えられたのです。

 

それを聞いたウパカは、はたしてどう反応したのでしょうか。

 

ウパカは言います。

尊者よ、あなたが主張されるように、あなたは無限の勝者たるべきですか?

 

釈尊が答えます。

煩悩を消滅するにいたった人々は、わたくしにひとしい勝者である。わたくしは悪しき性を克服した。それゆえにわたくしは勝者である。ウパカよ

 

このように言われたときに、ウパカは、

「尊者よ、そうですか、そうかもしれない」

とだけ告げて、頭を振って、傍道(わきみち)をとって去って行きました。

 

さて、こうしたウパカのちょっとした問答の後、釈尊は、当初の予定だった5人の修行者のもとに向かわれるのです。

(5人の修行者への「初転法輪」については、また改めて書こうと思っていますので、お楽しみにしてください)

 

 

2、これまでの説における、見方の2つの〈間違い〉

実は、ウパカのエピソードに関して、これまでの仏教学者や僧侶などの宗教家、文化人の説明には、その見方に間違いがあるのです。

 

それを2つ挙げてみました。

まず、一つ目の間違いです。

 

1、ウパカへの説法は、本当に“失敗”なのか?

 

ここで最後の部分で、ウパカが頭を振って去っていきましたが、「頭を振る」というのは、インド人の癖です。

 

今日でもインド人は、軽く賛成の意を示すときには、軽く頭を振ることがあるようです。

逆に反対(No)のときには頭を強く振るそうです。

われわれとは逆ですねぇ。

 

ところで、このウパカとの問答があったという話は、非常に面白いエピソードとして、よく語られていますよね。

 

では、何が面白いのか⁉︎

 

それは、釈尊が最初に説法に失敗したエピソードであるということでです。

つまり、次のように説明されます。

  • 釈尊であっても、最初はこうした失敗をしていたんだ
  • 人に話をするというのは難しいものなのだ
  • どんなに素晴しい内容であっても、真実を言えばそれでよいというのではないのだ
  • 相手にわかるように、伝わるように、誤解がないように考えて、説明しなければいけないのだ
  • そうした説法の難しさを示したエピソードなのだ

と。

 

しかしわたしは、それは、

違う!

と、断言します。

 

では、何が違うのか!?

 

 

2、釈尊は初めから知っていた!

 

これはウパカへの説法が“失敗”したわけではない、のです。

 

ブッダ釈尊は、初めからウパカは何を言っても去っていくだろうということが、わかっていた

のです。

 

考えてみれば当然でしょ。

釈尊ともあろう人が、目の前の人がどのような人物かを見抜けないわけがありません。

 

わたしたち現在に生きる人でも、優れた眼力がある人ならば、目の前の人の「人となり」をかなり洞察できるものです。

 

その人相や言葉遣い、風貌や雰囲気などで、「人となり」がわかるものです。

そのオーラの色をも視ることができる人もいるでしょう。

 

釈尊ともあろう方が、ウパカの「人柄」「人となり」を見抜けないはずはありません。

 

釈尊は、説法に失敗したのではなく、ウパカに法を伝えるには、まだ機が熟していないと思われたのでしょう。

だから、将来に機が熟すまでに、ウパカのために詩句をもって、最小限の教えを説いたものと思われます。

 

ですので、よく言われるような説法の失敗ではないということです。

 

これが〈間違い〉の1つ目です。

 

 

3、ウパカの評価を誤ってはいけない

 

では、次はウパカのエピソードに関して、〈間違い〉をもう1つ、お話しましょう。

 

それは、このウパカという人、時には、釈尊に幸運にも最初に会っておきながら、去っていった愚かな人、という風に考えられがちす。

釈尊の説法(この場合は詩句)を聞いたにもかかわらず、「尊者よ、そうですか、そうかもしれない」とだけいって、去ってしまったからです。

 

確かに去っていったことは、現在のわれわれから見れば非常に愚かなことです。

 

去らずにそのまま釈尊に帰依していたならば、釈尊の最初に弟子となった偉大な人として、歴史に名を残していたのです。

(先にお話ししたように、厳密にはその前に、2人の商人が弟子になっていましたが。)

 

何事も「フン」「フン」といって、人を馬鹿にする驕慢(きょうまん)なバラモンと同じく、こうした理由で、ウパカは〈愚かな人〉だといわれているのです。

 

4、ウパカは、実は偉大な修行者だった

 

でも実はこのウパカ、何年かのちには釈尊の弟子になって出家しているのです。

 

入門するとき、かつて釈尊と初めて会ったときの自分を強く恥じたでしょう。

釈尊に対して失礼な態度をとったことに大いに懺悔した事でしょう。

 

そして努力精進して、最終的には「アナゴン」という非常に高いさとりの段階にまで達しているのです。

 

アナゴンとは、仏教において解脱(げだつ)にいたる4段階の一つです。

最終段階であるブッダ(アラカン)の一歩手前の段階で、非常にレベルの高い修行段階のことです。

 

ウパカはそこまでに達していた、素晴らしい修行者となっていったのですね。

 

そもそも、最初に釈尊と偶然に会ったときに、一目でその高潔さを感じ取って釈尊に話しかけること自体、ウパカには、優れた宗教者としての素質があったものと思われます。

 

もしも現代にウパカがタイムスリップして出現したならば、非常に素晴らしい宗教家になっていたと思われるのです。

あるいは、何らかの形で世界に大きな益をもたらす大聖業をなす偉人となっていたことでしょう。

 

ウパカは決して愚かな人ではなかったのです。

 

最初に釈尊に会った時には、ただ機が熟していなかっただけなのです。

 

これが、これまでの見方の〈間違い〉の、2つ目です。

 

ウパカは実は偉大だったのです。

 

 

今回は、ウパカにまつわるエピソードにおける〈見方の間違い〉を書いてみました。

 

今後も、これまでの見方に過ちがないか、それを発見していこうと思っています。

 

あなたも、わたしとともに、歴史のミステリーハンターの旅を歩んでみませんか?

 

「解脱(げだつ)にいたる4段階」については、別のBlogページに書いていますのでご参照ください。

【関連記事】アナゴンとは?解脱に至る4段階とは。⬇︎

君は誰の、生まれ変わりか・・・〈死後の世界〉の真相

 

【参考記事】ブッダ釈尊は、「生まれ変わり」をどう説いたか。まとめてみました。⬇︎

来世、「動物」に生まれ変わるのか?・・・人間に生まれ変われるのか⁈(輪廻転生の話)

 

3、まとめ

  • ウパカについては、これまでの仏教学会や文化人の説明には、大きな過ちが2つある
  • 「初転法輪」の前に、二人の商人が釈尊の弟子になっていた
  • ウパカは、釈尊の風貌があまりにも高潔で尋常でないのを見て、話しかけた
  • 釈尊は、初めからウパカは何を言っても去っていくだろうということが、わかっていた
  • ウパカは、実は偉大な修行者だった

 

【関連記事】釈尊の弟子による、歴史に残る“裏切り”の物語! ⬇︎

デーヴァダッタ(提婆達多)・・・ブッダ釈尊(釈迦)はなぜ、その入門を許したのか?

 

【参考文献】

『君は誰の輪廻転生(うまれかわり)か』(桐山靖雄、平河出版社)

『釈尊の生涯』(水野弘元著、春秋社)

『お坊さんのための「仏教入門」』(正木晃著、春秋社)

『ゴータマ・ブッダ』(中村元著、春秋社)


君は誰れの輪廻転生(うまれかわり)か


お坊さんのための「仏教入門」

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