みなさん、こんにちは。
今回のテーマは、『勝五郎の転生』のお話をしてみます。
えっ⁉︎ 勝五郎って、誰なの?
って疑問に思われる方も多い方も思います。
ですが実は、勝五郎は、輪廻転生を語る場合には、世界的にも名前を知られている有名な少年なのです。
まず前半では、この勝五郎の転生の内容を中心のお話をまとめました。
後半は、勝五郎の転生物語と、『チベットの死者の書』との比較から、人の〈生まれ変わり(輪廻転生)〉について洞察を深めていこうと思います。
後半の記事は、こちら。 ⬇︎
Contents 目次
1、勝五郎、ってどんな少年?
1、ラフカディオ・ハーンによって、世界に知られた勝五郎少年
少年、勝五郎はある日、突然に「自分の前世はほどくぼ村の藤蔵だった」と前生の話を語りはじめて、人々を驚かせたのです。
その詳しい内容は、後ほど紹介いたしますが、驚くほど正確に前生の記憶が語られているのです。
勝五郎が話したその内容は、地名や人名が記録され、領主に報告したものに基づいた公文書の一種とみられる記録に残されています。
その話の内容が詳しく、信憑性が高いのが特徴です。
勝五郎の転生話は、鳥取の若狭藩藩主・池田冠山(かんざん)や国学者の平田篤胤が聞き取りをしてその記録より世間に知れ渡りました。
さらにラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によって、実際にあった生まれ変わりの話として海外にも紹介されたのです。
〈ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)〉
池田冠山の場合は、娘が6歳で亡くなったこともあり、その悲しみから勝五郎に関心を持ったと言います。
そして勝五郎に会いに八王子まで行くのですが、人見知りをする勝五郎は隠れてしまって話をしなかったそうです。
この時に冠山に勝五郎の経緯を話したのは、祖母のつやです。
冠山はその聞き書きを『武州多摩郡中野村勝五郎再生前生話』としてまとめています。
2、平田篤胤の『勝五郎再生記聞』
その後、平田篤胤が勝五郎を自宅に招き、本人から直接に聞き取って、まとめたものが、『勝五郎再生記聞』です。
勝五郎の前世はどんな人物だったのかをまとめると、次のようになります。
名前:藤蔵
誕生年:1805年(文化二年)
死没年:1810年(文化七年)
暮らしていた場所:武州多摩郡小宮程窪村(現・東京都日野市程久保)
実父 :久兵衛(藤蔵が二歳の時に死亡)
実母 :しづ(おしづ)
継父 :半四郎
では、勝五郎はどんな人物であったのか、ざっくり簡単にまとめてみました。
名前:小田谷勝五郎(こたや かつごろう)
誕生年:1815年(文化十二年)
暮らしていた場所:武州多摩郡袖木領中野村(現・八王子市東中野)
実父:小谷源蔵
実母:せい
姉 :ふさ
祖母:つや
つまり、前生で藤蔵として生きていた後に亡くなって、約五年後に勝五郎として生まれ変わっているのです。
3、あのイアン・スティーヴンソンが注目した!
前世の研究で有名な本は、『前世を記憶する子供たち』(イアン・スティーヴンソン著 日本教文社)です。
この本を読んだことがなくても、その題名ぐらいは聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。
日本語版では、548ページ(文庫本では608ページ)という分厚い本ですが、世界的なロングセラー本なのです。
このイアン・スティーヴンソン博士(1918年〜2007年)が、そもそも生まれ変わりの研究を始めた大きなきっかけの一つがこの勝五郎の事例だったのです。
勝五郎の話は、1897年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がアメリカおよびイギリスで出版した随想『Gleanings in Budddha-Fields』で紹介され、すでに海外ではよく知られていました。
それがスティーブンソン博士の目に留まり、生まれ変わりの研究が行われる端緒となったのです。
博士は世界中の前世の記憶を持つ持つ子どもたちの記録を分類したのですね。
そして1958年に、アメリカ心霊研究協会(ASPR)が募集した懸賞論文に応募して、それが見事に入選しました。
その中で紹介されて事例の一つが、〈勝五郎〉の記録だったのです。
2、勝五郎と、その周囲に起こった状況
1、当の本人は、〈前世の記憶〉を持っているのが当たり前だと思っていた
勝五郎の転生の話は、平田篤胤の『勝五郎再生記聞』に詳しく載っています。
これを読むと勝五郎がどういうことを語り、周囲の人々を巻き込んでいくのかが、わかります。
もっとも、当の勝五郎自身は、兄と姉に単純な質問をしただけで、それが周囲の人たちに大きな驚きと反響を呼ぶことになるとは思わなかったでしょう。
なぜなら、前世の記憶を覚えている勝五郎にとっては、記憶があるということはごく普通の当たり前のことだったからです。
兄と姉はもちろん、すべての人も自分と同じように前世の記憶があると思っていたからです。
非常に面白い内容ですので、ここでは『勝五郎再生記聞』から抜粋してご紹介します。
2、それは、「ねえ、にいちゃん。にいちゃんはここの家に生まれる前は、どこの誰の子どもだったの?」という質問から始まった
武州多摩宮中野村(現・東京都八王子市東中野)で農業を営んでいた源蔵の息子である勝五郎が、姉のふさ、兄の乙次郎と田んぼのあぜ道で遊んでいる時、兄に向かってこんなことを言った。
勝五郎はこのとき八歳だった。
「ねえ、にいちゃん。にいちゃんはここの家に生まれる前は、どこの誰の子どもだったの」
「そんなこと知らないよ」
びっくりして乙次郎は答えた。
そこで勝五郎は、今度は姉に向かって、
「ねえちゃん。ねえちゃんはここの家に生まれる前はどこの家の子どもだったの」
と尋ねた。
姉のふさは、
「どこの誰の子どもとして生まれていたかなんて、どうやって知ることができるというの。おかしなことを言う子だね」
あざけるようにそう言ったので、勝五郎は意外だと言う表情で、続けてこう聞いた。
「それじゃあ、ねえちゃんは生まれてくる前のことは知らないの?」
「じゃあ、お前は知っているというの?」
「おら、よく覚えてるよ。おらは、ここにくる前は、程窪村の久兵衛という人の子どもで、藤蔵という名前だったんだ」
それを聞いて、ふさは驚いた。なんて奇妙なことを言うのかと弟をじっと見た。
「そんな変なことを言うなら、父ちゃんと母ちゃんに言いつけるよ」
すると、勝五郎は大慌てで、
「父ちゃん、母ちゃんには絶対に言わないで」
と泣きながら訴えた。
このように勝五郎は、自分以外の他の人も、〈前世の記憶〉を持っているものと思っていたようです。
兄や姉としては、弟が突然に「おかしな話」をし始めたものですから、びっくりしたことでしょうね。
3、前世での自分や父親の名前を語り始めた
その後、勝五郎が不思議な〈前世の記憶〉を持っているということが、他の家族の知るところとなります。
両親と祖父は驚くと同時に不審に思い、勝五郎を呼んで直接聞くことにした。
勝五郎は、最初はいやがって答えようとしなかった。そこをすかしたりなだめたりして、聞き出したところ、こんな話だった。
「おらは、ここに生まれる前は、程窪村の久兵衛の子で、藤蔵という名前だった。
母ちゃんの名前は、おしづ。
おらが小さいときに久兵衛父ちゃんは死んで、そのあとに半四郎という人が来て、新しい父ちゃんになった。
半四郎父ちゃんは、おらのこととてもかわいがって、育ててくれた。
おらは六歳のときに死んだ。死んだあと、この家の母ちゃんのおなかに入って、この家に生まれてきたんだ。
このように、両親と祖父の前で、藤蔵だった時の前世の話を始めたのです。
家族は非常に驚いたでしょうね。
3、自分の死後の状況を語る
1、前世での死んだ状況をはっきりと覚えていた勝五郎
さらに勝五郎は、次のように話し始めとと言います。
前世のことは四歳くらいまではとても詳しく覚えていたけど、だんだん記憶が薄れてきた。
今は、ほとんど忘れかけている。
前世は、まだ死ぬ運命ではなかったけれども、病気だったのに薬をのませなかったので死んでしまった。
息が絶えるときは何の苦しみもなかった。
だけど、息が絶えた跡がしばらく苦しかった。
それを過ぎると、苦しいことは何もなかった。
なんと、勝五郎は、自分が死んだときの状況もはっきりと記憶していたのです。
2、死んだ後、どうされたかも、見ていた
そして、死んだ後、自分の遺体がどうなったかも、見ていたのです。
それが、次の部分です。
体(死んだ体)を桶(棺桶。座棺のこと)の中に強く押し込んだとき、おら(霊魂)は体から飛び出して桶の傍にいた。
山にある墓地に葬るために桶を皆で運んでいくとき、おらは白い布でおおった龕(ガン ひつぎ)の上に載っていった。
おらの死んだ体が入った棺桶を穴の中に陥れたとき、その音がすごく大きく響いて、心に刻み込まれた。
そのおとは今もありありと思い出すことができる。
このように、前世の自分の遺体がどうなったかの状況も記憶しています。
なんと、霊魂だけが身体から飛び出しているところも覚えていたようです。
3、死後、「おじいさん」に導かれて、次に生まれる家に着く
さて、自分の死体が棺桶に入れられるところまで見ていた藤蔵(勝五郎)は、その後、どうなったでしょうか。
そうこうしているとき、白い髪を長く伸ばし、黒い着物を着たおじいさんが来て、「こっちへおいで」と呼んんだので、その人について行った。
(中略)
あるとき、白い髪のおじいさんと一緒にこの家(源蔵の家)の前を歩いていたら、おじいさんがこの家を指して、「この家に生まれなさい」と言った。
おじいさんと分かれて、言われたとおり、この家(源蔵の家)の庭の柿の木の下にたたずんで、三日間くらい何となく中の様子を窺いながら過ごした。
(中略)
その後、窓の穴から家の中に入って、かまどのそばに三日間くらいいた。
(中略)
その後、母ちゃんのおなかの中に入ったと思うけれども、あまりよく覚えていない。
ただ、母ちゃんが具合がわるいとわかったときは、自分はおなかの隅っこのほうに寄っていたということを覚えている。
生まれるときは、苦しいことは何もなかった。
こうして、藤蔵少年は、勝五郎として現在の家に生まれてきたそうです。
現在の母親のお腹に入ったというところが面白いですね。
4、今世に生まれ変わってから、前世の家に行く
1、「程窪村に行きたい」
こうして今の家に生まれ変わった「勝五郎」少年。
勝五郎は、「程窪村に行きたい」と前世に住んでいた家に行きたいと何度も訴えるので、祖母と一緒に程窪村に行くことになるのです。
その時の様子を見てみましょう。
程窪村に着くと、祖母が「この家か、それともこの家か」と尋ねるのももどかしく、勝五郎は先に立って、「まだ先だよ、まだ先・・・」と、どんどん歩いていく。
祖母が、勝五郎のあとから付いていくと、「この家だ!」と、勝五郎が一軒の家に走りこんで行った。
(中略)
半四郎夫婦は、藤蔵の生まれ変わりの勝五郎に会い、実際に祖母から詳しい話を聞くと、その不思議さに驚き、また悲しみ、涙を流した。
勝五郎を抱きしめると、その顔をじっと見つめて、
「亡くなった藤蔵の面差しによく似ている・・・」
と涙ぐんだ。
勝五郎は抱かれながら、向かいの煙草屋の屋根を指さして行った。
「前はあの屋根はなかったよね。あの木もなかった」
そのとおりだったので、皆驚いた。
このように、勝五郎は前世で暮らしていた時の村や家も覚えています。
2、「おらはのの様(仏様)だから大切にしてくれろ」
勝五郎は、前生で暮らしていた家を見つけ、親族と再開する話が記録されているのですね。
また、勝五郎は折に触れては、「おらはのの様(仏様)だから大切にしてくれろ」と言ったそうです。
この言葉は、勝五郎の転生を考えるのに、重要なヒントにつながってきます。
また早く死んでしまうこともあるかもしれない、と言ったこともあったと記されているようです。
前世の記憶をありありと語った勝五郎の発言は、すごい記録ですね。
この記録は、平田篤胤が勝五郎少年から直接、話を聞いて記したものです。
信憑性も高いわけです。
前半は、ここまでとします。
次回の後半では、勝五郎本人から、その転生物語を聞き取った平田篤胤の話です。
さらに有名な『チベットの死者の書』と比較して、考察を深めていきたいと思います。
あなたも、私とともに輪廻転生の世界を探ってみませんか?
【参考文献】
『君は誰の輪廻転生(うまれかわり)か』(桐山靖雄著、平川出版社)
『仙境異聞 勝五郎再生記聞』(平田篤胤著、岩波文庫)
『原典訳 チベットの死者の書』(川崎信定訳・ちくま学芸文庫)
『異界見聞録6 平田篤胤著「勝五郎再生記聞」』(西田緑編訳・知玄舎POD書籍)
『前世を記憶する子供たち』(イアン・スティーヴンソン著 日本教文社、角川文庫)
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