仏教 歴史

「如是我聞」の罪(つみ)と罠(わな)・・・超キホンの【仏教の歴史③】

 

みなさん、こんにちは。

 

今日は、「如是我聞」という言葉についてのお話をしてみようと思います。



Contents 目次

1、だれが「このように聞いた」のか?

 

「如是我聞」は、「にょぜがもん」とか「じょしがぶん」とよみます。

この言葉を聞いた人は多いのではないでしょうか。

 

これはお経の最初に出てくる言葉です。

 

意味は、

〈是(かく)の如く(ごとく)我れ聞きぬ〉

「この通りわたくしは聞きました」

です。

 

仏教の開祖・釈尊(ブッダ、釈迦)は、今から二千数百年前にお亡くなりになりました。

その直後、釈尊の弟子たち五百人が、ラージャガハ(王舎城)の七葉窟に集まって、師である釈尊の生前にお説きになった教法の編集が始められたのです。

 

〈七葉窟(ラージャガハ)〉

 

大長老のマハーカッサパが座長です。

そして、いつも釈尊につきしたがっていたアーナンダが、その聞き覚えていたところのものを話します。

それをマハーカッサパが五百人の集会者たちに、いちいち確かめながら、まとめていったのです。

間違いがあっては困りますからね。

 

そのために、どのお経も「如是我聞」と冒頭にあるのですね。

つまり、「このように私は聞きました」という「私」というのは、アーナンダのことなのです。

 

2、『阿含経(あごんぎょう)』のみに、釈尊の本当の教えが記されていた

 

こうしてまとめられたのが、のちに『阿含経(Agama)』と呼ばれるものです。

これはパーリ語では、〈パーリ五部〉と呼ばれ、漢訳されて〈漢訳四阿含〉とも呼ばれるものです。

 

ところが、「阿含経」という最も古く、最も価値のあるお経がそうなっているために、そのあと数百年以上あとにつくられたお経が、すべてこの形式をとってしまったのです。

それは非常におかしな話ですね。

 

釈尊がお亡くなりになってから、数百年もたち、釈尊の教説をお聞きした者など、誰一人いません。

そういう時代に勝手に創作し始めたお経の冒頭にも、この「如是我聞(このように私は聞きました)」と書かれたのですから。

実に奇怪な、おかしな話ですね。

 

「阿含経」は、28年間というもの、釈尊のおそばにつきしたがって、釈尊の一言一句、残らず記憶していたアーナンダが、その見聞きしていたものを口述したのです。

さらにそれを、その時その説法の場にいて釈尊のお説きになったことを聴聞していた弟子たちが、間違いがないか、ただし合ったものです。

 

これこそまさしく、師である釈尊の説かれたものであるとしたものをまとめて、のちに文字にしたのですね。

(阿含経について詳しいことは、⬇︎)

 

ですので、「この通りわたしくしは聞きました」という「如是我聞」という4文字が、この上なき重みをもって、わたくしたちに迫ってくるわけです。

つまりは、「如是我聞」という4文字を冒頭に置くことが出来る資格があるのは、『阿含経」のみ、ということなのです。

 


阿含経典〈1〉存在の法則(縁起)に関する経典群 人間の分析(五蘊)に関する経典群 (ちくま学芸文庫)

3、何百年も後に創作された「お経」にも「如是我聞」と書かれてしまった

 

ところが、歴史は、とんでもないことを許してしまった。

「如是我聞」の4文字を冒頭に置く資格のない、ずっと後世に作られた「お経(大乗経典)」がみな、こぞって、その経文の冒頭にこの4文字を置いてしまったのです。

 

その歴史に与える影響は、どれほど大きかったでしょうか?

後世の人たちがみな、偽作の経典を、釈尊の本当の説法をしるしたお経だと誤認してしまったのです。

 

それは当然でしょう。

お経の冒頭に、堂々と

「わたくしはブッダ釈尊の説法を、この通り聞いた」

と記されているのですから。

 

まさか、尊い〈お経〉が真っ赤なウソをつくとは思わない。

みな、釈尊の真実の説法をしるしたものと信じてしまったのですね。

現代のように情報が発達した時代ではありませんから、やむを得なかったことかもしれません。

 

〈『阿弥陀経』の一節〉

 

4、「如是我聞」の罪(つみ)と罠(わな)

 

そのように考えてみますと 、この「如是我聞」という4文字は、いかに罪深い4文字かといえますね。

 

そしてその、〈罠〉に、まんまとすべての仏教者が引っかかってしまったわけです。

さすがに「般若心経」は、お経自体が短すぎて「如是我聞」は入れられてないですが。

 

もしかりに、たとえば「般若経」や「法華経」、「阿弥陀経」をはじめとする大乗仏教の「経典」が、どれも正直に書いていたらどうでしょうか?

冒頭に「如是我聞」と書かずに、かわりに

「これはブッダ釈尊の説いた教説ではなく、後世の無名の仏教徒が書いた創作経典である」

と、正直に書きだしていたとしたならば。

 

その場合は、いまのように多くの仏教信者がありがたく信奉してきたかどうか。

答えは明白でしょう。

ほとんどだれも相手にしなかったのではないでしょうか。

 

前に記事に書きました、天台大師・智顗が、過ちを犯してしまったのは、この大乗仏教の「経典」の〈罠〉に、あっさりと引っかかってしまったからなのですね。⬇︎

 

 

今回は、「如是我聞」というわずか4文字が、いかに歴史に与えた影響力が大きかったか、その罪と罠について、お話してきました。

 


阿弥陀経-現代語訳とその読み方 (単行本)

5、まとめ

  • 「如是我聞」の「このように私は聞きました」という「私」というのは、アーナンダのこと
  • そうして出来上がったものが『阿含経(Agama)』である
  • 「如是我聞」の4文字を冒頭に置く資格のない、ずっと後世に作られた「お経(大乗経典)」がみな、こぞって、その経文の冒頭にこの4文字を置いてしまった
  • そのために、後世の人たちがみな、偽作の経典を、釈尊の本当の説法をしるしたお経だと誤認してしまった

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