チベット密教 仏教

〈ニンマ派〉その霊力と呪力・・・【チベット密教】のおそるべき秘めたパワーが、コレだ⁉︎

 

みなさん、こんにちは。

以前に、チベット密教の「4大宗派」についての記事を書きました。

 

今回は、その中の最も霊力が強いとされる〈ニンマ派〉についてのお話をまとめてみました。

 

チベット密教の〈四大宗派〉とは?・・・神秘と性・呪殺の世界

 

Contents 目次

1、チベットにインド仏教(密教)が入ってきたとき

1、チベットの地域信仰、〈ボン教〉

 

チベット密教ニンマ派について語る場合、〈ボン教〉のお話をしないわけにはいきません。

 

どんな地域にも共通することですが、仏教やキリスト教、イスラム教などの世界宗教が広まるまでは、その地域に固有の信仰が行われているものです。

日本にも昔ながらの太古神道があったように、です。

 

チベットにも、仏教が伝わる以前から、固有の信仰が存在していました。

それが〈ボン教〉というものです。

ボン教は、自然や自然現象の背後に神々の存在を認めてあがめます。

ボン教を奉ずる人々は、そうした神々に犠牲をささげ、霊媒(シャーマン)をつうじて知り、“除災招福”などをはかっていました。

そうした下地があったところに、チベットに仏教が入ってきたのですね。

 

〈サムイェー寺〉

 

2、パドマサンバヴァがチベットにやってくる

 

8世紀後半に、ティソン・デツェン王の時代は、古代チベット王国の全盛期でした。

その時代のチベットの宗教事情はといえば、インド仏教を奉ずる勢力と、中国仏教を奉ずる勢力があったようです。

さらに、チベット固有の信仰を守ろうとする勢力もあり、大きく三つどもえの宗教間の争いが生じていたのです。

 

ティソン・デツェン王は、インドから、パドマサンバヴァ(蓮華生、グル・リンポチェ)というインドの在家の密教行者を招いたのです。

彼はインドのウッディヤーナに生まれたインド仏教の後期密教の行者でした。

 

彼は、チベットの人々に密教の威力を見せつけました。

そして、チベット土着の神々をつぎつぎに制圧して、仏教に帰依させたのですね。

おそらく数々の超自然的な現象を起こしたのでしょう。

 

ティソン・デツェン王が自分に礼拝しないのをみて、その神通力によって火を放ち、王の衣に火をつけたそうです。

このような奇跡を目の当たりにしたティソン・デツェン王は、パドマサンバヴァにひれ伏すように礼拝したといいます。

 

パドマサンバヴァは、ニンマ派の開祖とも言われますが、チベット密教の祖として、宗派を超えて崇敬されています。

 

そして775年、チベット最初の国立仏教寺院にあたる、サムイェ寺ーが建てられました。

このサムイェー寺は、サンスクリット語の経典をチベット語に翻訳する拠点となったのです。

 

こうしてチベットに、インドの仏教が根付き始めたのですね。

 

〈パドマサンバヴァ〉

 

ちなみに、パドマサンバヴァ自身はわずかな期間しかチベットに滞在しなかったようです。

でも、彼がチベット密教の歴史に残した功績は、非常に大きいものですね。

 

2、ニンマ派のはじまり

1、パドマサンバヴァを支持する人たち

 

そもそもチベットには、パドマサンバヴァがもたらしたインド密教を受け入れる素地があったといえます。

ボン教の得意とした除災招福といった、霊的、あるいは呪術的な領域は、パドマサンバヴァのもたらした密教とほとんど重なっていたからです。

 

ですので、パドマサンバヴァ以降、ボン教は、密教との関係をさらに深めていくことになります。

ボン教を名乗りながらも、その実態は密教(仏教)の呪術と理論に頼る部分が大きい、ということもあったようです。

 

その後、パドマサンバヴァを支持する人々は、インドから伝わった密教呪術と、ボン教の教えを融合させました。

それが〈ニンマ派〉となっていくのです。

その意味では、ニンマ派は、インド密教の忠実な継承者とは言えないところがあります。

 

2、古くて神秘色が強いニンマ派

 

ニンマとは「古い」という意味です。

ただし、古いといっても、8世紀ころに成立したインド後期密教にもとづいています。

 

ちなみに、日本の密教は、7世紀のインド密教を中国を通してから継承しています。

空海が日本にもたらしたのは、「中期密教」といわれるものです。

 

ですので、チベット密教のなかで一番古いニンマ派であっても、日本の密教よりは新しいタイプの仏教だということになるのですね。

 

ニンマ派を除く三派のことを、〈サルマ派〉と総称されます。

サルマとは、「新しい」という意味です。

 

このようにニンマ派を、ほかの三派と分ける言い方があることをみても、チベット密教の中でも、ニンマ派は特異な宗派と言えますねぇ。

 

3、ニンマ派の特徴とは

1、神秘色が強いニンマ派

 

ニンマ派の特徴としては、次のことがあげられます。

  • 古い時代に翻訳された経典に依拠していること
  • 多数の埋蔵経典(テルマ)があること
  • 中国の禅やチベット土着のボン教の影響を受けていること
  • 非常に呪術など神秘を重視して、密教色が濃いこと
  • 派としての統一性が薄い

 

このように、ほかの宗派に比べて、かなり神秘色が強いのです。

その分だけ、霊力・呪力も強いと言われています。

 

2、埋蔵経典を重視する

 

ニンマ派の大きな特徴として挙げられるのは、テルマ(埋蔵経典)を教法として活用していることです。

 

テルマとは、パドマサンバヴァに代表される古密教(吐蕃王国時代の密教)の行者が、その修行によってインスピレーションで感得した教えや法を記した経典のことです。

パドマサンバヴァは、弟子たちに読心術や千里眼、神通力、さらには死者の蘇生術など、特別な教えを弟子たちに相承しました。

さらに、その秘法を記した経典を地中などに埋葬して、誰にも見つからないように保管したものなのです。

 

有名な『チベットの死者の書』も、このテルマの一つです。


原典訳 チベットの死者の書 (ちくま学芸文庫)

 

パドマサンバヴァは、未来の弟子たちが、こうしたテルマをもとに布教して、多くの人々を救うことになる、と予言したそうです。

 

その発見方法には、次の2種類に大別されるようです。

  1. 発掘者がある種の啓示を受け、それによって土中から発掘する
  2. 発掘者自身が、霊感を受けてそれを著す

 

この2つの“発見”方法があるようです。

この発見者のことをテルトン(埋蔵教法発掘者)といいます。

 

3、一人一派的な宗派

 

ニンマ派の場合、他の宗派と比べて、派としての統一性が薄いのも、大きな特徴です。

一人一派、ないしは一寺院一派的な傾向が強いようです。

 

なぜならニンマ派は、もともと在家の密教行者を中心としていました。

そして、上記のような性格を持つ宗教者たちを一括して「ニンマ派」と呼んでいたからです。

 

当然、体系性や組織性はあまりありません。

こうしたことから、他の宗派からは、仏教以外の要素が多すぎると批判されています。

 

4、チベット密教の発展のプロセス

1、インド仏教と頓悟禅との論争

 

ティソン・デツェン王の8世紀の後半のチベットでは、中国から敦煌を経由して、禅系統の仏教が勢力を広げようとしていたようです。

彼らは、頓悟禅(とんこぜん)、すなわち功徳を積まなくても禅定(瞑想)のみで悟れると主張していました。

 

それに対してインド仏教では、「漸悟(ぜんご)」が常識でした。

漸悟というは、功徳を積むことによって悟りを得るということです。

 

このように、チベットに伝わった〈インド仏教〉と〈頓悟禅〉は相いれないものがありました。

 

そこで、794年、サムイェー寺において、ついに〈インド仏教〉と〈頓悟禅〉の論争が開始されたのです。

794年ですから、日本でいいますと、ちょうど平安京が遷都された時ですね。

 

〈ティソン・デツェン王(755年ー797年)〉

 

この時のインド仏教の代表は、ガマラシーラという人です。

対する中国仏教の代表は禅僧・魔訶衍(まかえん)でした。

この論争は約3年にわたったといいます。

 

そして、最終的に、ティソン・デツェン王が、ガマラシーラ側の勝利を宣言したのです。

この背景には、現実世界における善行の集積を無意味とする中国仏教に、現体制を否定しかねない危険性を感知した点もあるようです。

 

これ以降、チベットの仏教は、インド仏教(密教)と決定したのです。

 

2、チベットがインド仏教を選んだことの意味

 

このことは、現代の私たちにも非常に幸運な決定だったといえますね。

もしもこの時に、チベットの仏教が頓悟禅の方を選んでいたとしたならば、どうなっていたでしょうか?

 

その場合、当然に現在のチベット仏教の発展はあり得ません。

ブータンの仏教も違ったものになっていたでしょう。

 

日本に空海が伝えたのは〈中期密教〉までです。

インドにおける〈後期密教〉が伝えられたのはチベットでした。

 

ですので、もしもチベットがインドの仏教を採り入れず、中国仏教(頓悟禅)のほうを選んだならば、わたしたちは、〈後期密教〉に触れる機会がなくなってしまっていた、ということですね。

 

今のダライ・ラマもパンチェン・ラマ制度も生まれなかったでしょう。

 

〈ダライ・ラマ14世〉

 

そうすると、インド仏教の継承者としてのチベット仏教(密教)は、生まれなかったということですね。

 

3、ニンマ派中興の祖、ロンチェン・ラプジャムパ

 

ニンマ派は、ボン教も、頓悟禅の要素も取り入れていました。

さらに、そこには禅を通じて、中国の道教思想の流れも入り込んでいたのです。

 

まさに〈チベット密教〉という大きな鍋にいろいろな要素を取り入れた、ちゃんぽんのような宗派ですね。

その分だけニンマ派には強い霊力や呪力があったのです(現在もある)。

 

〈ミンリン・ティチェン・リンポチェ(1930年 – 2008年)〉

 

そうした批判に対抗する形で登場したのが、14世紀のロンチェン・ラプジャムパでした。

彼は新約密教の成果を換骨奪胎して、ニンマ派の究極の奥義である「大究竟」(ゾクチェン)の教えを始めて書き記しました。

ロンチェン・ラプジャムパはニンマ派中興の祖といえます。

 

このようにニンマ派は、仏教以外の要素が入っていたり、テルマを重視するなどの神秘色が強く、批判の対象になっています。

しかし逆にそれゆえに庶民の支持が強く、いまも大きな勢力を保っているのですね。

 

ちなみに、チベット史上、最高の法王と言われる、ゲルク派のダライ・ラマ5世(1617年ー1682年)は、ニンマ派の家系から出ているのです。

彼はまた、テルトン(埋蔵経典発掘者)としての顔も持つのです。

 

このように、非常に強い霊力と呪力を持つのがニンマ派なのです。

 

 

今回は、神秘と呪力のチベット密教最古の宗派〈ニンマ派〉についてご紹介いたしました。

 

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