みなさん、こんにちは。
今日は、釈尊(ブッダ、釈迦)が、人の生まれ変わりについて実際にどう説かれていたかを見ていきたいと思います。
仏教の教えと言えば、死後の世界や霊魂については、何やら曖昧な教えしかないのではないかと思われがちですね。
でも、実際には、釈尊は人の死後の行方について、はっきりと弟子たちにお話をしているのです。
Contents 目次
1、神通力を持ったバラモン、釈尊に挑戦をいどむ
1、特殊な神通力を持ったバラモンたち
釈尊の生きた時代は、西暦紀元前5世紀(紀元前6世紀という説もあります)です。
この時代のインドでは、バラモンという上層階級が祭祀などを行っていたのです。
そうしたバラモンの宗教が〈バラモン教〉です。
その中では特殊な神通力(超能力)を持っている人が、かなりいたようです。
そうした超能力自慢のバラモンが一人、釈尊の前に現れたのです。
2、バラモンの神通力
これから出てきますバラモンは、非常に優れた神通力を持っている人です。
彼は、「髑髏咒(どくろじゅ)」という呪文を誦して人間の頭蓋骨をみると、その人の死後の行方がわかる、という神通力を持っていました。
さらにこのバラモンは、天文学や運命学(占い、占星術)などにも通じていたようです。
人の運命を予言したり、病人を治療したりして各地を遍歴していたようです。
そのために、かなりの信者もいたようです。
そのバラモンが、釈尊に対して、神通力比べを挑んだのです。
当時は、釈尊のことが各地で評判になっていたようです。
そこで、神通力自慢のひとたちが、釈尊の教団を訪ねて、「道場破り」のようなことをしていたようです。
このバラモンの名前を、ミガシラ長者といいます。
漢訳では、鹿頭梵志(ろくずぼんじ)といいます。
梵志というのは、バラモンのことです。
2、釈尊とバラモンの神通力対決がはじまる
1、死者の亡くなった原因と、死後の行方をいい当てる
鹿頭バラモンから術比べを申し込まれた釈尊は、バラモンを連れて山をくだり、大きな墓地に行きました。
まず一つの頭蓋骨を取り上げて彼に渡しました。
そして、次のように質問します。
「これは男か女か、どういう病気で死んだのか、今はどこへ生まれているか?」
と尋ねたのです。
「我、今汝に問わん。此れは是れ何人の髑髏なるや。
是れ男と為すや、是れ女と為すや、また何の病によって命終を取りしや」
すると、鹿頭バラモンは、手に取ってこれを撃ち、
「これは男です。
多くの病にむしばまれ、五体不自由となって長いあいだ寝たまま、苦しんでなくなりました」
と答えたのです。
「之は衆病集湊し、百節酸疼せしが故に命終を到せり」
釈尊はさらに質問します。
「この病人は、どういう薬を与えて治療すればよかったのか?」
「はい、カリロクを蜜で練った丸薬を与えれば治ります」
「その通りである。
この者は、その薬を与えれば治ったのである。
いま、どこに生まれているか?」
「この人は、餓鬼・畜生・地獄の三悪趣の境界に生まれて苦しんでおります」
「その通りである」
と、釈尊の質問に対して、バラモンはこの髑髏になった男性の死後の行方をいい当てたのですね。
2、次々と釈尊の問いに、見事に答えるバラモンの超能力
どうやらこの鹿頭バラモンという人は、人の頭蓋骨をもって、ポンポンと叩いてその人の死ぬ前の状況と死後の行方を見る能力があったようですね。
続いて、釈尊は別の頭蓋骨を取って、それをバラモンに渡して、同じ質問をしました。
バラモンは、これは男性で、ひどい下痢で亡くなった人だと見抜きました。
いまでいう腸チフスか赤痢に罹ったのでしょう。
非常にのどが渇き、水を欲しがったのですが、病気の性質上、水は与えられず、水に強い執着を持ったまま死んだようです。
そのため、餓鬼界の境界に生まれて、現世で苦しい人生を送っていると、見抜いたのです。
これも釈尊は、「その通りである」と肯定されたのです。
つぎは、産厄で亡くなった女性です。
この女性は、結核かガンなどの病気で亡くなった女性と言い当てました。
どこに生まれたのかというと、鹿頭バラモンは、
「人間界に生まれております」
と。
すると釈尊は、尋ねました。
「それはおかしい。
食を絶して死んだ者は、餓死したものとして餓鬼界か畜生界、地獄界に堕ちて再生するはずであるのに、どうしてこの女性は人間界に生まれたのか?」
すると、バラモンは、
「それは、この女性が、女性としての道徳を守っていたので、三悪趣に堕ちず、人間界に生まれたのでございます」
すると釈尊は、
「その通りである」
とうなずかれました。
人間としての道徳をきちんと守っているものは、苦しい死に方をしても三悪趣に堕ちず、人間界に生まれるのですね。
3、戒を保って死んだ人の行方
次は、人に殺された人の骸骨です。
「この者はどこに生まれたか?」
と釈尊がバラモンに尋ねました。
すると、鹿頭バラモンは、また髑髏咒を唱えて頭蓋骨をポンポンと叩き、
「この者は天界に生まれております」
と答えました。
すると、釈尊は、
「それはおかしいぞ。
この世界に住む者は、男女を問わず、人に害せられて命を落とすとき、必ず地獄・餓鬼・畜生の境界に生まれて苦しむことになっている。
それはお前も知っているはずだ。
にもかかわらず、この者が天界に生まれたというのはどういうわけか」
「はい、その通りでありますが、この者は、生前に五戒をたもち、あわせて十の善事を行っておりましたので、その功徳により、死後、天界に生まれたのでございます」
釈尊は、深くうなずかれ、
「よし、よし、たしかにその通りである」
とおっしゃいました。
3、ついに釈尊に敗れた、バラモン
1、バラモンの神通力では、どうしても見抜けなかった事
自分の神通力に自信をもっていた鹿頭バラモン。
次々と、釈尊の質問に的確に答えたのです。
これをごらんになった釈尊は、大神通力をもって、一瞬のあいだに、一つの頭蓋骨をとりよせました。
この頭蓋骨というのは、はるか東方の普香山というところで亡くなり、涅槃(ニルヴァーナ)に入った優陀延(うだえん、Udena)という出家のものでした。
これを鹿頭バラモンにわたされた釈尊は、
「男性であるか、女性であるか?」
と質問したのです。
すると、鹿頭バラモンは一心に髑髏咒をとなえ、こころを集中しますが、今度ばかりは、なんにも分かりません。
とうとう閉口して、釈尊に言いました。
「この髑髏は、男でもなく、女でもありません。
生を見ず、死を見ず、いくら一生懸命に見ても、まったく手掛かりがありません。
いったいこれは、どういう髑髏でありましょうか?」
「やめよ、やめよ、バラモンよ。
おまえがどんなに精魂尽くしても、お前の力ではとても知ることはできない。
この髑髏には、始めもなく終わりもなく、生もなく死もない。
そういった相対的な境界はすべて超越してしまっているのだ。
涅槃という絶対の境界に入ってしまっているので、次元の違うおまえには目が届かないのだ。
これは、普香山の南で完全解脱(無余涅槃)した優陀延(Udena)という阿羅漢(アラカン)の髑髏である」
と。
2、鹿頭バラモン、釈尊に弟子入りする
一つの髑髏が、どうしても死後の行方を見抜けなかった鹿頭(ろくず)バラモン。
釈尊にさとされて、仏法の偉大なる力に深く感銘したといいます。
そして仏弟子になることをお願いして許され、仏道修行に励むことになったのです。
彼は、当時は96派あったという〈外道〉の教法と、ブッダ釈尊の偉大な教法との大きな隔たりを理解したのです。
自分の神通力に自信をもって釈尊の教団に、「道場破り」に挑んだ鹿頭バラモンです。
それが道場破りどころか、釈尊に弟子入りすることになったのですね。
梵志頭面にみ足を礼し、世尊にもうしてもうさく。
「我よくことごとく九十六種の道の趣き向う所の者を知り、皆ことごとく之を知るも、如来の法の趣き向う所は分別することあたわず。
ただ願くば世尊、道次にあることを得ん」と。
4、現代人の生きる指針をしめされた、ブッダ釈尊
1、仏弟子・ミガシラ長者の告白
さて、この鹿頭バラモンは、釈尊の弟子入りを許され、修行にはげむことになりました。
その後、さとりを開いて、完全解脱し涅槃(ニルヴァーナ)に入ったといいます。
その時の告白が残っています。
それを見てみましょう。
181 わたしは、完全に悟りを開いた人(ブッダ)の教えにおいて出家し、解脱しつつ、上に昇った。
わたしは欲望の領域(欲界)をのり超えた。
182 梵天が見つめていたあとで、わたしの心は解脱した。
一切の束縛が消滅したのであるから、わたしの解脱は不動である、と(わたしは知っている)。
「ミガシラ長者」(中村元訳『仏弟子の告白』岩波文庫)
2、人の死後の行く末を説いて、現代人の生きる指針を示された釈尊
このように、釈尊は、はっきりと人の死後の行く末を語っているのですね。
そして、戒律を守り、こころ正しき生き方をしたものは、非業の死を遂げたとしても、天上界や人間界などのよき境界に生まれ変わると説いているのですね。
さらには、仏道の修行によって、完全に解脱して涅槃(ニルヴァーナ)に入った人のことも語られています。
これは、増阿含経(ぞうあごんぎょう)にのっているお話です。
釈尊の死生観をよくあらしたお経ですね。
「自分は死んだあとは、どうなるのか?」
「自分は何のために生きているのか、わからない」
って悩んでいる人は結構いますよね。
こうした人たちに対して、釈尊は人生の指針をお示しになっているのです。
5、今日、ただいまから〈運命〉を変えていかなければならない
1、釈尊の教えを記した唯一の経典、『阿含経(あごんぎょう)』
さて、ここまでみてきましたのは、『阿含経』にのっているお話です。
二千数百年前に仏教を開いたのが、釈尊です。
その実在した釈尊の実際に話された言葉をのこしているのが、仏教経典(お経)です。
でも、すべての仏教経典が釈尊の教えを記しているのではありません。
実在した釈尊の教えを記した経典は、実は、
『阿含経(あごんぎょう。漢訳四阿含。パーリ五部)』だけ
なのです。
このことは、知らなかった人も多いのではないでしょうか?
阿含経以外の経典は、すべて釈尊がなくなってから数百年以上も後に創られたものです。
ですから当然、お経の中に登場する釈尊やその弟子たちは、ニセモノなのです。
つまり、フィクションです。
これは非常に大切なことですね。
なぜなら、実際の釈尊の言葉とは違うことが書かれてあるお経を読んで、それをもって、「お釈迦様は、このようにお説きになった」といっても、何の意味もないからです。
まず、ここを押さえおかなければいけませんね。
そして、この阿含経の中に、釈尊は人の死後の行方をはっきりと説いているのですね。
(経典の歴史については、私の前の記事にも書いてあります。興味ある方はそれをご覧になってください。⬇︎)
『阿含経』・・・釈尊が説いた“最高の経典”が作られたプロセスを解説
2、スピリチュアルの容易な言葉に、だまされてはいけない!
最近では、いわゆるスピリチュアルのブームに乗った人たちが多く登場しています。
その中には、「〈魂〉は生まれ変わるごとに、どんどん上昇する」などと言う人がいます。
でも、これまで見てきたようにそんな簡単なものではないことが理解できるでしょう。
またこうした人たちは、「人が生まれてきたのには、その〈魂〉の上昇過程において、それぞれ役割があるのです」などとも言います。
そんなことって本当でしょうか?
こうしたことを言う人に、質問をしてみましょう。
「多くの人を殺害して、人を苦しめた犯罪者などは、人を苦しめるという“役割”を果たすことによって、〈魂〉が上昇するというのでしょうか?」と。
例えば、テロリストや、反社会的な組織に属している人たちは、多くの人を死に追いやったりして苦しめています。
そうした人たちでも、それが〈魂〉の上昇過程における「役割」だとでも言うのですか?
そんなバカなことはないはずです。
そもそもスピリチュアル系の人は、カウンセラーとして、まずは目の前の悩んでいる人の心を癒すのが目的です。
ですので、つい、このような容易な甘い言葉をかけて話すのでしょう。
でも、人の〈魂〉が、“自然に”どんどん上昇するなんて、実際にはないのですね。
上に見てきましたように、釈尊は、はっきりと人の死後の行方を説いているのです。
死後の運命を変えるということは、生きている今から運命を変えていくということです。
明日の運命を変えるためには、今日ただいまから運命を変えていかなければなりません。
釈尊は、現代に生きる私たちに、こうした生きる指針をお示しになっているのですね。
6、まとめ
- 実在した釈尊の教えを記した経典は、『阿含経(あごんぎょう。漢訳四阿含。パーリ五部)』だけ
- 釈尊の時代には、特殊な神通力(超能力)を持っている人が、かなりいた
- 釈尊とバラモンの神通力対決に挑んだ鹿頭バラモン
- 釈尊ははっきりと人の死後の行方を説いている