みなさん、〈クンダリニー〉という言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
スピリチュアルを語るにおいて、クンダリニーの話を避けて通るわけにはいきません。
クンダリニーを知らずして、スピリチュアルを語ることもできないでしょう。
それほどクンダリニーは、重要なものなのです。
Contents 目次
1、クンダリニーとは何か?
では、クンダリニーとはいったいどういうものでしょうか?
ひとことで言いますと、
クンダリニーが目覚めると、すごい超能力が身につく
のです。
クンダリニーとは、脊柱のいちばん下端、尾てい骨より約3センチほど上部にあるエネルギーの源泉です。
クンダリニー・ヨーガは、いろんな方法で、このクンダリニーを刺激して、このエネルギーを引き出そうとするものです。
これを昔の人たちは次のように表現しています。
「人の中に眠るコブラ(蛇。クンダリニーのこと)が目ざめて走りのぼるとき、人は真に目ざめる(ヴェーダ)」
「この火(クンダリニー)の秘密をさとった者には地上のだれも敵することができない。この人こそ真の覚者である(クンダリニー奥義書)」
体内に眠るこのクンダリニー(火、蛇、とも表現される)のごとき強烈な力を覚醒させてこれを活用するとき、人は計り知ることのできないほどの力を持ちます。
平凡な人間が、超人に変わってしまうのです。
クンダリニーは、脊柱の最下部に、
「三巻き半のとぐろを巻いた竜(蛇)のような形」
をして固着しているといいます。
あるショックでこれが動き始めっると、クンダリニーは脊柱の中心にある「スムシュナー管」を通って上昇しはじめます。
そのスムシュナー管は、頭頂の「間脳」まで通じているのです。
その間脳めがけてクンダリニーは上昇を始めるのです。
2、偶然、クンダリニーをが目覚めて、透視能力が出てきた婦人
思ってもない偶然のショックで、クンダリニーが目覚めることが、ごく稀にあるようです。
ここでは、リードビーターの文章を引用してみましょう。
「ある場合には、クンダリニーは意志の力だけでなく、偶然のでき事・・・たとえばその部分を打たれるとか、強い圧力がそこに加わる事によっっても目覚めるといわれている。
私が最近神智学の教師の一人から聞いたところによると、彼はカナダを旅行しているときににこの種の体験例にめぐり合ったという。こういう事柄については何一つ知らないある婦人が、自分の家の地下室で階段から足を踏み外したという。彼女は一時気を失っていたが、気を取り戻してみると透視能力がそなわっていて、他人の心中をよみとることができたり、家中のすべての部屋の様子が見えるようになったのであった。この透視能力は、消えないでつづいているそうである。
この婦人の場合は、転倒したときに脊柱の底部を打って、その打った位置と打ち方とが、クンダリニーを少し目覚めさせるに適していたものと考えられる。もちろん、このようにしてほかのチャクラも刺戟されてものと考えられる」(『チャクラ』)
この婦人は、偶然クンダリニーが刺激されて、そのおかげで透視能力が身についたのですね。
3、クンダリニー覚醒による危険
しかし、クンダリニーはただ覚醒さすれば良い、というものではないのです。クンダリニーは、激烈なる力を持ちます。
ですので、もしやりそこなうと、脊柱のなかにある中枢神経を痛めて、全身不随(または半身不随)になったり、脳を傷つけて狂人になったりするようです。
リードビーターが紹介している婦人は、それこそ何万人に一人という幸運に恵まれただけです。
皆さんもご存知の通り、脊柱の負傷は、そのほとんどが命を失うか、全・半身不随などの不幸な結果になっています。
リードビーターは、次のように警告を発していいます。
「ふつうの人間の場合、この蛇の火は脊柱の尾てい部に眠っていて、一生の間、その存在さえ気づかれないままである。人が一定の徳性をそなえ、彼の意志力がこの火を制御できるほど強くなり、また彼の思念が十分に純粋になって、火の目覚めを経験しても打撃を受けないようになるまでは、火はじっと眠ったままにしておく方がよいのである。修行をつんだ経験の深い師匠から明確な指示を受けないかぎり、蛇の火を目覚めさせる実験はすべきでない」
そして、その危険について、次のように述べています。
「ある場合には、危険は全く肉体的である。コントロールできないまま火の運動が起こり始めると、しばしば烈しい肉体的苦痛が生じ、時には身体組織を損傷し、生命を奪うことさえある」
生命の危機すらあるわけですから、怖いですね。
クンダリニーに興味を持っても、それは良いことと悪いこととの両方を知っておかなければいけないのです。
4、クンダリニーの持つエネルギーの凄さ
リードビーターは、続けます。
「自分の体内に生じる力は自分で処理できる筈だ、と考えるのは誤りである。これはふつうのエネルギーとはちがうものであるから、とても抵抗することができない。何の予備知識もない者がクンダリニーを目覚めさせる訓練などすべきではないし、たまたま偶然にこれを目覚めさせてしまったような場合には、すぐに経験を積んだ人に相談すべきである」
またさらに、次のようにも警告を発しています。
「爆発物(クンダリニー)をもてあそんで火をつける者は、たちまちその最初の犠牲者となる」
クンダリニーの覚醒は無理をしてはいけないのです。
クンダリニーを覚醒させようと、遮二無二努力をすることは厳につつしまねばならないとは、ヨーガの奥義書、指導書にくりかえし説くところです。
クンダリニーをヘタに覚醒してしまうと、さまざまな障害や病気になったり、非常に不安定な精神状態に陥ってしまう危険性が高いのですね。
これについて桐山靖雄師は、次のように述べています。
「私は、クンダリニーの覚醒は、修行者の心身の自然の熟成を待つべきだと思っている。だから、これを目標にして訓練を行うことを絶対にしない。思慮のない無謀なクンダリニーの覚醒はとりかえしのつかない打撃(ダメージ)を修行者にあたえることがしばしばである。発狂、全・半身の不随、性格の激変(わるい方へ)、その他の事故があるのである。クンダリニーというのはひとつの強烈な力で、その覚醒はかならずしもよい方へのみはたらくとはかぎっておらず、よき方にも悪しき方にも、はげしく作用するのである」(『密教 超能力の秘密』)
ですので、クンダリニー覚醒においては、このような危険な目に合わないようにしなければいけないのですね。
クンダリニー・ヨーガは、この危険を冒さないようにいろいろな方法でおこなうというのです。
まあ、そうは言っても、クンダリニーはそんなに簡単に覚醒するものではないのです。
覚醒させる方法も非常に曖昧です。
クンダリニー・ヨーガを行なっても、ほんのごく一部の才能に恵まれた人のみがクンダリニーの目覚めを体験できるのみということだそうです。
ちなみに仏教の明王に軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)という仏がいます。
この「軍荼利」というのは、このクンダリニーから来ています。
軍荼利明王の蛇はまさにクンダリニーをあらわしているのでしょう。
今回は、クンダリニーの持つエネルギーと、その危険性について書いてみました。