みなさん、こんにちは。
最近は、Youtubeでも、「輪廻転生」や「人の生まれ変わり」、「死後の世界」についての話題をよく見かけるようになりましたね。
そこで今回は、仏教を開いた釈迦(ブッダ釈尊)が、死後の世界について、どのように考えていたのかをみていきましょうたずね
1、「死後にゆく世界」を尋ねたアーナンダ
釈尊が、自分の弟子たちが、死後にどのような境界(きょうがい=その人を取り囲んでいるあらゆる状況)に行くのかを話されている場面があります。
ただし、ここでは、修行によってある程度、解脱(げだつ)がすすんだ、自分の弟子たちについての話です。
ですので、われわれ〈凡夫〉の生まれ変わりは、もっと悲惨で苦しい状態になって“生まれ変わる”ことがよくあるのですが、それについては今回は割愛します。
それをみていきましょう。
釈尊が諸所を遊行して、ナーディカムラの公堂に入られたときのことです。
つい先ごろ、この村に悪疫が流行して、おびただしい死人が出て、大騒ぎだったことがあります。
侍者のアーナンダが、村の噂を聞いてその詳細を釈尊のお耳に入れて、こう申し上げました。
「世尊(釈尊)よ、サールハ比丘(出家の弟子)がなくなりました。
ナンダー比丘尼もなくなりました。
今、どこへ生まれているでしょうか?
また、在家の弟子のスダッタもなくなりました。
あの信心深い貴婦人のスジャーターもなくなりました。
それから、在家の弟子のカクダ、カーリンガ、ニカタ、カチッサブハ、ツッタ、サンツッタ、ブハッダ、スブハッダもなくなりました。
悲しいことであります。
みんなどうなっているのでしょうか?
今、彼らはどこへ生まれていることでしょうか?」
ここに出てくるアーナンダというのは、釈尊の十大弟子のひとりです。
「多聞第一」と言われ、釈尊の従者としてずっと側に付き従っていた弟子です。
疫病によって多くの弟子たちが亡くなったことに対して、師の釈尊に尋ねたのです。
2、「死後の行方」を語った釈迦
弟子たちが亡くなったことで、アーナンダが質問したのですね。
すると、釈尊はこうおっしゃったのです。
「アーナンダよ。
サールハ比丘は、すでに一切の煩悩を断じて、この世で阿羅漢を得ていた。
だから完全なる涅槃に入っている。
また、ナンダー比丘尼は欲界(欲望によって成り立っている世界、つまり我々が生きているこの世界のこと)に生まれるべき五つの煩悩を断ち切っていた。
だから、天界に生まれて、そこで涅槃を得るから、もうこの世界には還らない。
また、スダッタは、三つの煩悩を断じて、その上、貪・瞋のこころが薄らいでいたから、聖者としてもう一度この世に生まれ、この世で涅槃を得るであろう。
また、スジャーターは三つの煩悩を断じ、菩提のこころを持っていたから、この世に生まれてももはや苦しい境界に入らず、早晩、阿羅漢(ブッダ)の悟りに近づいてゆくにちがいない。
また、信心ぶかいカクダ等の八人をはじめ、ナーディカむらで死んだ五十人余は、欲界に生まれるべき五つの煩悩を断じていたから、天界に生まれ、そこで涅槃を得てもうこの欲界へは還らない。
それから、対岸のナーディカむらで死んだ九十人余は、三つの煩悩を断じ、その上、貪・瞋のこころが薄らいでいたから、もう一度この世に生まれて、涅槃を得るであろう。
また、五百人余の信心ぶかい人たちは、三つの煩悩を断じ、菩提のこころを持っていたから、もはやこの世界の苦しい境界には生まれることなく、近い将来、阿羅漢のさとりを開く。
アーナンダよ。
生あるものの死するのは、なにも珍しいことではない
俗世間の人たちのように、いちいちそういうことを尋く(きく)というのはどういうことか。
煩わしく、かつ、無駄なことである。
そんなことよりも、なおいっそう修行にはげんで、死後の生処をよく見るようにせよ」
〈長阿含経『遊行経(ゆぎょうきょう)より〉
と、このように答えられたのです。
このように、死に対する釈尊のお考えは、私たちとまったく違うのです。
釈尊は、〈死〉を、決して、悲しいものとも、苦しいものとも受け取っていないのです。
むしろ、それは、高い次元へ飛躍し昇華してゆく“跳躍台”であるとお考えなのですね。
この話のさらに詳しい解説は、以前の私の記事、「生まれ変わり(輪廻転生)・・・弟子たちの死後の行く末を語った、〈ブッダ釈尊〉」をご覧ください。⬇︎
【参考文献】
『輪廻する葦』(桐山靖雄著、平河出版社)
『君は誰の輪廻転生(うまれかわりか)』(桐山靖雄著、平河出版社)
『あなたの知らない「仏教」入門』(正木晃著、春秋社)