みなさん、こんにちは。
芸術にあまり関心がない人でも、岡本太郎さんのことを、ご存知の方は多いのではないでしょうか。
実は、岡本太郎さんは、現代社会に生きる私たちの抱える悩みを、ズバリと解決するヒントを残してくださっているのですよ。
今日は、その芸術家・岡本太郎(ここからは敬称略)の言葉を見ていきましょう。
Contents 目次
1、岡本太郎の「芸術」とは?
岡本太郎は、現代日本を代表する芸術家です。
絵画や彫刻作品など、素晴らしいものをの創作されました。
1970年に行われた大阪万博のシンボル「太陽の塔」は有名ですね。
今でも大阪の千里万博公園にあります。
でも、それ以上にすごいのは、岡本太郎の言葉です。
岡本太郎はたくさんの著書を書かれています。
「芸術論」はもちろんですが、社会問題や人生についても問題など、いろいろなものがあるのです。
その発言は、現代に生きるわれわれにとって、生きる力を与えてくれるものなのです。
そもそも「芸術」とは何でしょうか?
芸術とは、ただ単に絵を描いたり、彫刻を作ったり、作詞作曲をしたり、歌を歌ったりするだけのことを言うのでしょうか?
本当に心に響く芸術作品が出来上がる、その背景には、作者の人生の戦いがあるはずです。
さまざまな人生の苦難があり、そこから心の奥底から湧き出るエネルギーが、絵や音楽や演劇として、表現されるわけです。
だから、その作品を鑑賞した人の心の琴線に触れることになるのです。
岡本太郎の言葉が、私たちの心に響くのは、岡本太郎自身が〈人生の戦い〉を生きてこられたからなのです。
ここでは『自分の中に毒を持て』から、私の好きな部分を引用して、お話をしていいきたいと思います。
2、嫌な〈仕事〉に縛られて苦しんでいる「あなた」、ちょっと視点を変えてみてはどうでしょう?
まぁ、なんて多くの人が、仕事に関して悩みを抱えていることでしょう。
- 会社が辛くて辛くて、仕方がない
- 自分が仕事をやっている意義が感じられない
- 早く辞めて、別の仕事に変わりたい
こんな苦悩を抱えて仕事をしている人はたくさんいるでしょう。
ここで岡本太郎の言葉が、今のあなたの問題を解決する、大きな糸口になると思います。
岡本太郎の言葉
危険だ、と言う道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
ほんとはそっちに進みたいんだ。
だからそっちに進むべきだ。
どうです?
あなたは、〈危険な道〉を、初めから避けていませんか?
岡本太郎の言葉
たとえば、いま勤めている会社をやめたい、何かほかにやることがあるんじゃないか、と考えている人は実に多い。
だがそれは未知の道に踏み込みこむことだし、危険だ、と躊躇して迷いながら日を過ごしいている。
現在のサラリーマンのほとんどはそういう悩みを、多かれ少なかれ持っていると思う。
内心では、もっと別な会社や、別な道に進みたい希望を持っているんだが、踏み切れない。
身の安全、将来を考えて仕方なく現在の状況に順応している人が驚くほど多いのだ。
まさに「今の自分のことだ!」って思い当たる人も多いでしょ⁈
岡本太郎の言葉
会社をやめて別のことをしたいのなら、あとはどうなるとか、なんてことを考えないで、とにかく、会社をやめるという自分の意思をつらぬくことだ。
結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。
むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらくじゃないか。
よく考えてみてください。
本当は、今の会社を辞めて、別のことをやりたいと思っている人は多いでしょう。
でも、そもそも、そうやって迷って悩んでいる人というのは、
「他の会社に移ったら、今よりも悪い環境になってしまうかもしれない」
と思っているようです。
ですが、そんな未来のことはわからないじゃないですか。
行ってみれば、もっと働きやすく、やりがいのある職場に行きつけるかもしれないのです。
新しい〈出会い〉もあるやもしれません。
だから、先のことをあれこれ考えるメリットはないのです。
実際に飛び出してみると「失っても、たいしたことはなかった」ということは少なくないはずです。
長年働いてきた職場でソコソコの給料があっても、今後も同じようにもらえるとは限りません。
何よりも、あなたが本当にやりたいことを、心の奥底にしまいこんで、人生の時間を費やすことは、もったいないと思いませんか?
たった一度の人生ですから、本当にやりたいことがあるのならば、そっちへ方向転換することも考えましょう。
あなたが今、失うことを恐れているものって、「本当にそんなに大事なものなのか」と自分に問いかけてください。
岡本太郎の言葉
挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。
挑戦した不成功者には、再挑戦者としいての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままでオリてしまったやつには新しい人生などはない。
ただただ成り行きにまかせてむなしい生涯を送るにちがいないだろう。
それに、人げにとって成功とはいったい何だろう。
結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んか、努力しいたかどうか、ではないだろうか。
夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。
挑戦したいものがあれば、それに向かって進みましょう。
さあ、挑戦だ!
3、恋愛や結婚、うまくいかない場合が多いけど、どうすんの?
男女間(あるいは、同性の間でも)の恋愛や結婚の問題はいつの時代でも、多くの人が抱える悩みの種です。
- 私って、男運がいつも悪い
- 私はブスだし頭も悪いし、これまで素敵な男性に恵まれたことがないの
- 暴力を振るう旦那(恋人)から逃げ出したいけど、逃げられない
最近では、DVで悩んでいる女性が多いようです(ときに男性の場合も)。
DVとはドメスティック・バイオレンス(deomestic violence)のことで、配偶者やからの暴力をいいます。
恋人(パートナー)からの暴力も含まれます。
さらに夫婦間・恋人間の問題は、DV以外にもいろいろのものがあります。
また、なかなか良いパートナーと巡り会えないときはどうすれば良いのでしょうか。
岡本太郎の言葉
結婚が“人生の墓場”にならないいために、夫婦はどのような気持ちの持ち方をしていけばよいか。
夫婦である以前の、無条件な男、女であるという立場。
新鮮な関係にあるようにしていかなければ一緒にいる意味がない。
密着していると同時に離れている、純粋な関係を保っていく必要がある。
結婚してもお互いがうれしい他者であり、同時に一体なんだ。
夫婦になる以前の新鮮かつ無条件な男と女としてのあの気持ちを忘れないことが大事だ。
自分が片想いしていると思っている時の方が強烈だ。
つまり、相思相愛、おめでたいのが恋愛ではなくて、片想いが恋愛だと言える。
恋愛というのは、こちらが惚れれば惚れるほど、喜びと同時に心配や不安といったものが怒ってくる。
ということはつまり片想いだろう。
ぼくの場合は、どっちの方がより愛しているなんて特に意識したことはない。
恋愛だって芸術だって、おなじだ、一体なんだ。
全身をぶつけること。
そこに素晴らしさがあると思う。
DVで「悩んでいる」人というのは、そこから逃げ出せないままの人のことです。
結論から言うと、そんな男からは、一度でも暴力を振るわれたならば、すぐに逃げることが大切です。
なぜなら、そんな男は、別の機会に再び同じような暴力を振るうからです。
ところが、そんな男であっても、そこから逃げられない女性が多いのが現実です。
なぜなら、次の日になると、その男は非常に優しくて甘えっ子になって「悪かった。僕は君を世界一愛しているんだ」とか言うわけです。
ですので、女性は「これが本当の彼なんだ」と思って、その男の暴力から抜け出せなくなってしまうのです。
あるいは、子供を抱えている夫婦の場合は、経済的な問題がある場合もあるでしょう。
子供を抱えて逃げると生活できなってしまう、という問題です。
しかし、そういうことで躊躇していたら、自分も子供も精神的にやられてしまうでしょう。
特に家庭内で父親が母親に激しい暴力を振るっている姿を見せられた子供には、深き心の傷となって、その精神形成にどんな悪影響を与えることになるかもしれないのです。
全国にある婦人相談所に相談に行くとか、生活保護を受けるということも考えるとよいでしょう。
DVには我慢せずに、そんな関係は、スパッと断ち切ることです。
また、
「自分はブスだから」
「すてきな人にモテないから」
と劣等感ばかりが前面に出て悩んでいる人も多いようです。
でもそんなことに悩んでいるのではなくて、堂々と自分を生きてみてはどうでしょう。
ありのままの自分の個性を出して輝いていく、という姿勢です。
そして片想いでいいから恋愛をしてみましょう。
そうすると、予想外の新たな〈出会い〉が訪れるかもしれません。
4、いまこそ、《歓喜》を生きる!
今の時代、みんなが世渡り上手になろうとして、もがいています。
上手に世渡りがができる人は良いです。
でも、人間とは本来そんなに器用な生き物ではないのです。
だから上手く世渡りができない人は、はみ出し者になっていきます。
会社での仕事がうまく続かない人はたくさんいます。
「友達」がいない人は山ほど世の中にいます。
最近では小・中学生の間でも、「空気が読めない」と除け者にされて、いじめの対象になるそうです。
でもはたして、空気が読めないことが、本当にそんなに悪いことでしょうか?
「空気が読めない」って、外国語に翻訳するは難しいそうです。
これは日本独特の現象なのかもしれません。
世渡りなどできなくても良いのです。
不器用な自分を、堂々と生きましょう。
もっと個性を打ち出して自由にのびのびといく方が楽しいのです。
岡本太郎は言います。
岡本太郎の言葉
たとえみんながイエス、イエスと言っていても、自分が本当にノーだと思ったら、ノーと発言することだ。
もちろんそれだけで、今言ったようにこの閉ざされた社会、モラルの中では大きな抵抗を受ける。
純粋に強烈に生きようとすればするほど、社会のはね返しは強く、危機感は瞬間瞬間に鋭く、目の前にたちあらわれるのだ。
自分がノーと思ったならば、堂々とノーと言いましょう。
堂々としておくのです。
岡本太郎の言葉
「打て見ろ」と己をつき出す。打たれることによって、自他をひらくのである。ますます拡大して爆発する存在になるのだ。
さらに、生きるヒントです。
岡本太郎の言葉
ぼくは生きるからには、歓喜がなければならないと思う。
歓喜は対決や緊張感のないところからは決して生まれてこない。
そう、私たちが生き生きとした自分の人生を生きるヒントは、《歓喜》です。
《歓喜》
これでしょ‼︎
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