みなさん、こんにちは。
「妖怪」のお話って、楽しいですよねぇ。
まず、妖怪って、本当にいるのでしょうか?
そんなの作り話の世界だ、って思っていませんか?
実は、妖怪は実際にいるのです。
そうしたことも含めて、これからお話を進めていきたいと思っています。
Contents 目次
1、妖怪とは何か
1、そもそも妖怪って何なのか?
では、そもそもまず、妖怪とは何でしょうか?
それは、人によっていろいろと定義が違うようなのです。
民俗学者の柳田國男は、妖怪と幽霊を、次のように区別しています。
- 妖怪:特定の場所に出現する 幽霊:場所が不特定
- 妖怪:相手が不特定 幽霊:特定の人に出現する
- 妖怪:黄昏時に出現する 幽霊:丑三つ時に出現する
また、日本の近世文学・芸能史学者の諏訪春雄(すわはるお)は、次のように区別しています。
- 妖怪:人または人以外のものが、人以外の形で出現するもの
- 幽霊:人が死後に人に属性を備えて出現するもの
としています。
わたしはこの諏訪春雄氏の定義が、妖怪に一番ピッタシ来るのではないかと思います。
柳田氏の言うように特定の時間にのみ出現する、というものではないと思うからです。
2、妖怪はどこにいる?
では、妖怪はどこにいるのでしょうか?
それは、私たちの「すぐそばにいる」のです。
でも、いつでもどこでもそばにいるのではありません。
妖怪は〈あちらの世界〉に住んでいるようです。
そして、人間が日常生活の世界〈こちらの世界〉から、〈あちらの世界〉にフト足を踏み入れたならば、妖怪が出現するのです。
つまり、〈こちらの世界〉と〈あちらの世界〉の境界域に踏み込んでしまった時に、妖怪は出てきます。
その時に通常、不思議な出来事が起きます。
それを怪異現象と言って、人々は恐れるのです。
3、妖怪はなぜ、人間の前に出てくるのか
ではなぜ、妖怪は人間がそうした境界域に入ってしまった時に出現するのでしょうか?
それには、次のような意味があります。
- 戒めのため
- 遊ぶため
- 憑くため
- 授けるため
1、「戒めのため」
これは、人が山の奥深いところに入り込んでしまって、危険な状態になりそうな場合です。
「ここは、おまえ来る場所ではないぞ!」と警告をしているのです。
また、自分たちの住む領域を人間どもに壊されたくはない、という思いもあって、警告を出すのです。
2、「遊ぶため」
これは、妖怪の中には、座敷わらし(童)のような無邪気なものもいます。
人間の子供のようにいたずら好きで、気まぐれな性格をしています。
寝ている人の枕返しをしたり、布団をひっぱったりします。
また、部屋にあるオモチャを動かしたりして、人を驚かせたりします。
座敷わらしがいる家は栄えるといいます。
テレビ番組でも座敷わらしが住む旅館が紹介されてますね。
その不思議な現象が映像にのこされていたりします。
〈座敷わらしが出ることで有名な、岩手県の旅館『緑風荘』〉
3、「憑くため」
これは、〈あちらの世界〉に関わってしまった人間が、なんらかの非礼やタブーを破った場合です。
その時に、その者に対する懲罰の意味で、その人に憑くというものです。
4、「授けるため」
たとえば、妖怪が秘薬や長寿の秘訣を人間に授ける、というものです。
次に、この妖怪が人間に対して「授ける」ことについてみてみましょう。
2、妖怪が人間に授けた話
1、河童が秘薬の調合を教える
埼玉の伝説で、次のような「河童伝説」があります。
ある晩、薬屋の後家が便所に入っていると、尻を撫でるものがあり、翌晩も続いた。
そこで3日目の夜、小刀を用意して便所に入ることにした。
すると、またしても尻から秘所あたりまで、スルリと手が伸びてきた。
あわてて小刀ではらうと、真っ黒い毛の生えた、水掻きのある手が切り取れた。
さてその翌日、片腕のない若者が腕を売ってくれとたずねてきた。
後家がはねつけると、若者は泣きながら痴漢行為を謝り、腕を返してくれと懇願した。
「返してもいいけど、すでに体から離れた腕をどうするつもりですか」
後家が若者に尋ねると、
「元通りにする薬がございます」
若者はそう言って薬を取り出し、確かに後家の目の前で腕をくっつけて見せた。
そこで後家は、彼から習ったイカリセンとナオン草の根を調合してつくる秘伝の薬を売り出し、大当たりをした。
河童というものは、本当にいたずら者ですねぇ。
これは、実話というよりも河童の民話といったほうがよいでしょう。
こうした話は、全国各地にあるようです。
では次に、実話の方をご紹介します。
2、天狗少年・寅吉の場合
では、次の仙童寅吉の場合はどうでしょう。
天狗少年といわれる寅吉の話は、有名なのでご存知の方も多いのではないかと思います。
この話は実話です。
〈天狗・杉山僧正 寅吉にいろいろなことを教えたという〉
寅吉は天狗からいろいろなことを教わってきていたのです。
寅吉はいいます。
私は、かねてからの念願である卜筮を教えてくれるよう言いました。
師は、それは簡単なことだが、易卜(占いのこと)は良くないものであるので、まずは別のことを学べと言いました。
そして、色々な武術や書道の方法、神道にかかわること、祈祷呪禁の方法、護符への文字の書き方、幣(ぬさ)の切り方を教えてくれました。
さらに、薬や武器の作り方、また易卜以外の様々な占いの方法、仏教の諸宗における秘事や経文その他、様々なことを教えてくれました。
このように、天狗の方から自発的に人間に対していろいろなことを教え授けています。
さすが時には、神仏に支えるものと言われる天狗です。
天狗の方が人間よりもいろいろな知識があるようです。
3、良い妖怪と悪い妖怪
1、数え切れないほどいる妖怪
妖怪にはいろいろな種類があります。
ざっとあげると、有名なものでも次のようなものがあるでしょう。
- 鬼
- 天狗
- 河童
- 狐(霊狐)
- 山姥(やまうば、やまんば)
- 酒呑童子(しゅてんどうじ)
- 口裂け女
- ろくろ首
- 座敷わらし
- ダイダラボッチ
- アマビエ
有名でないもの含めると数えきれないくらいあります。
同じ種類の妖怪でも地方によっては名前が違ったり、その性格が違ったりもする場合があります。
たとえば山姥の場合、容姿は鬼のような姿をしています。
長い髪、ぼろぼろの衣服、裂けた口など、恐ろしい風貌をしています。
子供をさらったり、牛馬を捕って食います。
その反面、人間に餅をくれたり遭難者を助けてくれるなどの優しい一面もあるようです。
〈山姥〉
このように、人間に対して害を及ぼす場合もあれば、逆に人間が困っている時に助けてくれたり、大きな利益をもたらすような知識をさずけたりもします。
天狗や霊狐、巳(ヘビ)のような神仏に仕えるものもあり、信仰の対象になっているものもあります。
(これらを、他の妖怪と同じく“妖怪”と言ってしまってよいのかどうか疑問ですが。)
信仰の対象にまでなるのも、昔の人々が、その存在を感じたり、時には姿を見たり、声を聞いたりしたことがあったためなのです。
現代でも、〈視える人〉には、そうした存在が確認されています。
〈天狗の像 高尾山〉
2、巳(み、蛇)さんの体験例
ここでは、私の友人の巳さんに関連した心霊体験をご紹介します。
昔、幼い時、わたしが、出雲の神の使いである御巳霊を海で殺してしまいました。
それは子供の頃、海で泳いで遊んでいた時の出来事です。
蛇がすぐ目の前で泳いでいました。
私はイタヅラ心で手に持っていた先が尖った棒で、蛇に向かって突いたところ、なんと命中して死んでしまったのです。
それで、そのことが原因で後々に、蛇の障りが起きたのです。
蛇の障りあると、お金に生涯、不自由して苦労すると昔から言われているのを思い出しました。
その後、私は病気などで、仕事も出来ない状態になってしまったのです。
この人は、子供の時に誤って、海に泳いでいる蛇を殺してしまったというのです。
その後、その蛇の祟りなのか、病気などで苦しみ行き詰まってしまったというのです。
そのため、霊能のある大家の方に観て頂いたのです。
すると、
「あなたには、蛇が数ひき憑いています。殺した祟りですよ。その御巳霊は、金の道を閉ざすぞ!生涯、たいへんな苦労する」
といわれました。
そこでその霊能の方に祀り方を教えていただき、今は、御巳霊の供養を毎月しています。
このように自宅で、その障りを除く方法したら取り除けるらしく、心を込めて供養し、今は平穏無事で生活できてます。
この人はこうして、無事に現在まで健康に過ごされています。
4、肉眼では見えない、聞こえない存在を説いた、ブッダ(釈尊)の教え
では、仏教では、妖怪についてどのように考えるでしょうか。
1、ブッダ釈尊(釈迦)が説いた「肉眼では見えない生き物」
仏教では、こうした不可思議な存在についてはどのように説かれているでしょうか?
それを考えるヒントになるものがあります。
ここではそれを見てみましょう。
「雑阿含経」に「爪甲経(そうこうきょう)」というお経があります。
その中に、「肉眼では見えない生き物」と言うのが説かれています。
その概要は次のような内容です。
ある日釈尊は、釈尊自身の手で大地の土を拾い、釈尊自身の手の爪と手の甲の上に土を乗せて諸々の比丘(修行者)に次のように尋ねられた。
「諸々の比丘(びく)よ。私のこの手の爪と手の甲の上に乗っている土の量とこの大地の土の量とでは土の量はどちらが多いか?」
諸々の比丘は次のように答えた。
「世尊(釈尊)よ。世尊(せそん)の手の爪と手の甲の上に乗っている土の量はこの大地の土の量と比べるならば比べものにならない程ごくわずかな量です。」
釈尊は続けて、このようにお説きになられた。
「よろしい、もろもろの比丘よ。
もし肉眼で見える生き物たちの数を、この手の爪と手の甲の上にある土の量とするならば、その形が微細で肉眼では見えない生き物たちの数はこの大地の土の量のように膨大に存在する。
比丘たちよ。
未だ無間等の悟り(仏陀の悟り)に到達しない者は努めて無間等(むけんとう)の悟りに至るよう努力せよ」
ここでブッダ釈尊は、手の爪と甲に乗っている土の量と、大地にある土の量を比べています。
そして、「肉眼では見えない生き物」が無数にいると、わかりやすく説明されているのです。
つまり、ブッダ釈尊は人間の肉眼では見えない生命体が多く存在している事を、弟子たちに説いたのでした。
それを妖怪といってよいのかどうかはわかりません。
でも、このように肉体をともなって生きている生命体とは別の存在がいるということです。
それを妖怪というのか、霊魂というのか、別の言葉でどう表現すれば良いのかは難しい問題です。
でも、どのような名前で呼ぼうが、いわゆる幽霊もいれば妖怪もいて、様々な「その形が微細で肉眼では見えない生き物たち」が存在するということを、釈尊は説いているのです。
それどころか、そちらの方が、あれこれ目に見える生命体よりもはるかに多いと言うのです。
この肉体を持たない霊的な獣(ケモノ)たちについては、雑阿含経(ぞうあごんぎょう)『屠羊者経(とようしゃきょう)』においてもブッダ釈尊は説かれています。
【参考記事】霊的な獣については、以前の記事をご参照ください。⬇︎
2、妖怪は、人間が作り上げたものだけではない
時おり、妖怪については、人間の恐怖心や不安感によって、人間の脳が作り上げた創造の産物だ、という人がいます。
確かに、そのような場合もあると思われます。
人間の脳(心)が作り上げた幻覚や妄想が、まずあるとします。
それが周囲の人に伝えられて、妖怪として伝承された場合も多いのではないかと思います。
でも、わたしはすべての妖怪がそういうわけではない、と考えています。
人間(の脳・心)とは関係なく、そうした不思議な霊的な存在がいるのです。
しかもそれは、釈尊が言うように地球上にいるあらゆる生物の数に比べて、はるかに多く存在するのです。
輪廻転生について語ると、それを信じない人からは、
「人口がどんどん増えてきているのに、それを輪廻転生では人口増加に追いつけないではないか」
と言う人がいます。
でも、
もし現在に生きている人間(生物)が全て輪廻しなくなっても、それを補充する霊的な存在(幽霊、または、妖怪)は無数にいる
ということです。
そして、そうした妖怪たちは、こちらかは見えないけれども、あちら側からは、こちらの動きをじっと見ているようです。
人間の脳が作り上げたものではない「本当に存在する」妖怪は、これまでにさまざまに人間社会に影響を与えてきたのです。
そして、これからもずっと、人間に影響を与えるでしょう。
これがホントの、「妖怪ウォッチ」だ!
あなたも今日から、妖怪との共存ライフを、楽しんでみませんか?
【参考記事】輪廻転生(生まれ変わり)については ⬇︎
5、まとめ
- 妖怪は、こちらの世界とあちらの世界の境界域に、人間が踏み込んだ時に出現する
- 妖怪の出現には、1,戒めのため 2,遊ぶため 3,憑くため 4授けるための意味がある
- 仙童寅吉の話に観られるように、天狗が人間に様々なことを教えたと言う実話がある
- 巳(み、蛇)さんを殺してしまった体験例
- 釈迦は、「肉眼では見えない生き物」の存在を説いた
- 人間が作ったものではない、〈本物の妖怪〉はいる
ジグソーパズル・パネル専門店【ジグソークラブ】
途上国の子どもたちの1対1の支援プログラム