みなさん、こんにちは。
餓鬼(がき)ってよく言いますよね。
実は、餓鬼は、誰でもがなってしまう可能性がある、実際にある〈霊的存在〉なのです。
今日はその餓鬼についてのお話をしてみます。
Contents 目次
1、お盆の施餓鬼供養
1、施餓鬼供養
盂蘭盆会の法要が各地で行われる時期ですねぇ。
その盂蘭盆会、いわゆるお盆の法要というのは、どういうものでしょうか。
このお盆の供養の根幹になっているのは、「施餓鬼供養」と呼ばれるものです。
これは、餓鬼界に堕ちて苦しんでいるお霊を供養して慰め、さらに成仏法を修して成仏させ、餓鬼地獄の苦しみから救ってあげるものです。
2、餓鬼とはどのような存在なのか?
そもそも、餓鬼って何でしょうか?
これは〈浮浪霊〉の一種です。
背の高さは、一尺(約30センチ)ほどだそうです。
痩せこけて髪を振り乱し、非常に醜い姿をしています。
霊眼のある人には、それが見えます。
いつの時代でも、昔から霊眼のある人は一定数います。
そうした人が視たものが絵などに残っていますね。
『餓鬼草紙』が有名です。
ではなぜ、餓鬼の霊は、そのような醜い姿になってしまっているのでしょうか?
それは、その人が生きている間(前世)に、餓鬼になるべく生き方をしていたからなのです。
つまり、貪りの心が強い人が餓鬼道に堕ちるといわれます。
特に物質上の欲望や貪りの心が強い場合に餓鬼になるようです。
餓鬼は、生前の行いが業(カルマ)となって、死後にそのような姿になってしまったのです。
ですので他人ごとではないのです。
餓鬼の前世は、私たち普通の人だったのですから。
【参考記事】来世、どんな人間に生まれ変わるのか、について書いています。⬇︎
3、自らの醜さを自覚している餓鬼の霊
さて、餓鬼は、社会と人に対する恨みを抱えて生きています。
(生前にそのような生き方をしてきた)。
餓鬼道に堕ちてしまっているために、子孫が供えた水も食べ物ものどを通りません。
それらを口に入れようとした瞬間に、すべて火となってしまい、熱さのために投げ捨ててしまわざるを得ないのです。
その結果、痩せ細り、飢えと渇きで常に苦しみ、放浪しているのです。
4、あえて暗がりで供養供養するわけ
また、自分の醜さを承知しており、その姿を人に見せてくないため、明るいところには出てこれないのです。
そして、暗くてあまり綺麗でないところをネズミのように走っていきます。
そこで万燈会では、裏手の暗がりに「施餓鬼供養壇」を作るのです。
これは、「餓鬼棚(がきだな)」とも呼ばれ、ここに、お水(餓鬼水)と混ぜ飯(餓鬼飯、がきめし)をまいてご供養するのです。
2、餓鬼界に堕ちた人を救うには
1、回向(えこう)の布施で餓鬼も救われる
万燈会では、燈明をともして、死者の魂を供養します。
これは、智慧の象徴である燈明や灯籠を掲げて、仏・菩薩・龍神の諸尊にお供えするのです。
盂蘭盆の時期に、この万燈会を行って、諸仏諸尊のお徳を讃えるのです。
そしてその功徳を先祖に回向してお霊の安らかなることを祈ります。
あわせて家運の隆盛を記念するということです。
では次は、釈尊の智慧第一といわれる弟子のサーリプッタの母のお話をみていきましょう。
2、餓鬼界に堕ちた母を救った回向の布施
『その夜、お釈迦様の弟子で智慧第一と称されるサーリプッタは、木の根元で瞑想していました。
すると、痩せ衰えて、醜悪な姿をした餓鬼の女が現れ、サーリプッタに救いを求めました。
「私は生前、そなたの母でした。
しかし、貪りの報いによって、今は餓鬼界に堕ち、飢えと渇きに苦しんでおります。
住処(すみか)もなく、ただ暗黒の中をさまよっています。
わが子よ、どうか私のために回向の布施を行ってください。
そうすれば、私はこの境界から脱することができるのです!」
サーリプトラ(舎利弗)
亡き母の願いを受け、サーリプッタはこのことを法友のマハーモッガラーナ、アヌルッダ、カッピナに話しました。
4人は相談の上、4つの小屋を造って、4つの僧伽に1つずつ布施をし、その功徳を亡き母に回向しました。
また、それとは別に、小さな施餓鬼小屋を造って、そこに飲み物と食べ物を供えて供養したのです。
そして夜になり、再びサーリプッタが瞑想をしていると、全身から光を放つ女神が現れ、こう言いました。
「息子よ、サーリプッタ尊者よ、私はあなたの母です。
あなたの回向の布施により、私は餓鬼界から救われて、衣食住に満ち足りた光り輝く女神となれました。
心から御礼を申し上げるために、ここへ参りました・・・」
女神となった亡き母の感謝の言葉を受けて、サーリプッタはやさしく微笑し、また瞑想へと戻りました。』
「パーリ五部」『小部経典・餓鬼事経』より
ここでは、盂蘭盆の起源となったと考えられている、『餓鬼事経』をみてきました。
さて、〈施餓鬼供養〉の由来となったのは、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』と言われています。
“ぶつせつぐばつえんくがきだらにきょう”と読みます。
この〈施餓鬼供養〉は、お盆と一緒に行われる場合が多いですね。
でも、本来は、施餓鬼供養と盂蘭盆会とは別のものです。
3、自分が餓鬼の霊にならないために
1、「餓鬼」、それは他人事ではない
ここまで、餓鬼についてみてきました。
餓鬼をいうと、それは全く他人事の幽霊のように思っている人が多いと思います。
でも、上に見てきたように、誰でも死後に餓鬼の霊になってしまう可能性があるようです。
サーリプッタの母が言うように、貪りの生き方をしていると、餓鬼になってしまいます。
世の中を見渡していますと、お金がなくて豊かさを目指して貪っている人がいれば、大金持ちであっても富を貪っている人もいます。
2、経済発展の裏に、多くの餓鬼が生まれている
誰でも豊かな生き方をしたいと思うのは当然でしょう。
豊かさを求めて努力するから、現在の世界の経済発展があるといえます。
だから、豊かな生活をしたいと願うこと自体は問題はないのです。
けれども、豊かさを求めることによって、それが人を傷つけることになると貪りとなります。
自分が豊かさを求めることによって、周囲も豊かになるのであればよいのです。
自分が利益を得るために、人を傷つけて泣かせている人は、その悪業(カルマ)の不徳のために、死後に餓鬼の霊になるのでしょう。
現世でどんなに大金持ちであっても、恰幅(かっぷく)が良く高級ブランドを身に着けている人であっても、
貪りの心をもって多くの人を傷つけているならば、約30センチの〈餓鬼〉になるのです。
そう考えると、この世界の経済の発展の裏には、多くの餓鬼に堕ちた人がいると、思われますねぇ。
皆さんは身に覚えはありませんか?
私たちも、気をつけましょうね。
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4、まとめ
- お盆の供養の根幹になっているのは、「施餓鬼供養」
- 餓鬼は、浮浪霊の一種で、背の高さは、一尺(約30センチ)ほど
- 餓鬼道に堕ちた霊は、子孫が供えた水も食べ物ものどを通らない
- 万燈会では、智慧の象徴である燈明をかかげて諸尊にお供えする
- 貪りの心が強い人が餓鬼道に堕ちる
- 誰でも死後に餓鬼の霊になってしまう可能性がある