前に、人間は来世は動物に生まれ変わる可能性があるのだ、といったお話をしました。
動物に生まれ変わる以上、当然、動物にも〈霊魂〉、あるいは〈魂〉といったものがあります。
人間が動物に生まれ変わったとたんに、霊魂も何もない、単なる“物”になってしまうとは考えられないからです。
ところが、世の中には、動物には全く霊魂はないんだ、という考え方をする人がいます。
しかも、そうした考え方をする人は、実は非常にたくさんいるのです。
今回は、動物に〈霊魂〉や〈魂〉があるのか、というお話をしてみたいと思います。
Contents 目次
1、 人間以外には〈霊魂〉を認めないキリスト教
1、キリスト教独自の考え
キリスト教では、原則として、人間以外には〈霊魂〉を認めません。
ですので、動物はもちろん、鳥や爬虫類などには、〈霊魂〉を認めないのです。
この考え方は、キリスト教に独特なものです。
なぜなら、キリスト教以前のヨーロッパでは、動物のみならず、植物にも〈霊魂(魂)〉がある、とみなされていたからです。
キリスト教にも例外はあります。
それは、アッシジのフランチェスコ(1182年ー1226年)です。
フランチェスコの場合は、動物や鳥などにも説教したというはなしがあるように、人間以外にも霊魂を認めていたことがわかります。
これは例外中の例外で、キリスト教では、人間以外のものには、〈霊魂〉は認めていないようなのです。
2、デカルトは、動物を生きたまま解剖した
近代哲学の祖と言われる、ルネ・デカルト(1596年ー1960年)も動物に〈霊魂〉を認めていませんでした。
デカルトは、熱心はクリスチャンだったといいます。
デカルトからすれば、動物には〈霊魂〉がないのだから、所詮は単なる有機物でできた機械に過ぎないのです。
ですので、動物には思考する能力がありません。
デカルトといえば、「われ思う、故にわれあり」の言葉で知られていますね。
動物は何も考えないから、“われ”がないのです。
さらに、動物には 感情も感覚もないというのです。
つまり、痛みもなければ喜びも感じないのです。
こんな考えなどは、ペットを飼って可愛がっている人からすれば、とても信じられないかもしれませんが、デカルトはそう考えていたのです。
動物がいろいろな感情表現をしても、人間の目にそいう見えるだけで、それは偉大なる神がそうさせているのだ、というのです。
ですので、動物を殴ろうと蹴ろうと、可愛がろうと、動物の方は何も感じていない。
そうデカルトは主張しました。
ルネ・デカルト
その証拠に、デカルトは、みずから犬やウサギを生きたまま解剖しているのです。
その痛みや苦しみを感じ取る心が、デカルトにはなかったのです。
みなさんが、目の前にいる犬などの可愛いペットを、生きたまま解剖できますか?
犬や猫でなくとも、もっと小型の動物や生き物でも、普通の感覚を持った人ならば、そこに何らかの〈霊魂〉、あるいは、〈魂〉といったものがあるのだと感じているはずです。
それが、デカルトは天才だったためか、そうした感情はなかったようです。
前に書いた記事で、人間は来世は動物に生まれ変わる可能性があるのだ、といったお話をしました。
キリスト教と違って仏教では、〈霊魂〉は人間以外の動物にもあるとします。
いや、仏教の開祖・釈尊(釈迦)は、人間があらゆる生き物に生まれ変わっていたことを、弟子たちにお話ししています。
人間に〈霊魂〉がある以上、その生まれ変わる可能性がある動物以下の生き物にも、当然、〈霊魂〉があると考えるしかないのですね。
2、ブッダ釈尊がとく〈霊魂〉とは
まず、人間が人間以外の生物(動物など)に生まれ変わるってことはあるのでしょうか⁈
それを知るために、釈尊ご自身が、それを語ったものがありますので、それをみてみましょう。
1、『雑阿含経(ぞうあごんぎょう)・母乳経』
ここでは、『雑阿含経(ぞうあごんぎょう)・母乳経』の現代語訳をみていきます。
このように私は聞きました。
仏さま(仏陀釈尊・釈迦)がコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、祇樹給孤独園)にご滞在の時のことです。
仏さま(釈迦)は弟子たちに告げられました。
「衆生は始まりのない昔から生死を繰り返し、無明におおわれて、愛(愛結)にその首は繋がれ、果てしもなく長い間、輪廻転生を繰り返し続けるだけで苦しみの根本を知らないのです」
(中略)
仏さまは弟子に告げられました。
「よし、よし、その通りです。
おまえたちが輪廻転生を繰り返す間に飲んだ母乳は、恒河(ガンジス川)と四大海の水量よりも多いのです。
なぜならば、おまえたちは輪廻転生中に、ある時はゾウとして生まれ、その時飲んだ母乳は極めて多量です。
また、時にはラクダ・ウマ・ウシ・ロバや種々の禽獣として生まれ、その時飲んだ母乳の量も極めて多量です」
ここで釈尊は、人間は(動物なども含めて)それだけ無限の輪廻転生を繰り返してきている、と説いているわけですね。
時にはラクダ・ウマ・ウシ・ロバや種々の禽獣として生まれ、その時飲んだ母乳の量も極めて多量である
と、非常にわかりやすい話で説明されていますね。
つまり、釈尊はここで、必ずしも人間として生まれ変わるのではない、と弟子たちに説いているわけです。
続きをみてみましょう。
「また、おまえたちは、輪廻転生の間に、時には墓場に棄てられて膿や血が多量に流出し、またある時には地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に堕ち、髄血が流出することも同様に多量です。
弟子たちよ、おまえたちははじまりのない昔から生死を繰り返していますが、苦の根本原因を知りません。
弟子たちよ、物質的現象は永遠に変わらず存在し続け得るものでしょうか。
あるいは変化するものでしょうか」
弟子たちは仏さまに申しました。
「世尊よ、永遠に変わらず存在し続けるものではありません」
と、このように、釈迦とその弟子達との会話(問答)が行われています。
なんと、
膿や血が多量に流出して、またある時には地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に堕ち、髄血が流出することも同様に多量にあるぞ!
と表現されています。
2、釈尊自身が見た、輪廻転生の有様
釈尊ご自身が、ありありと人や動物の前世の姿を見て、弟子たちに説明しているのです。
この中で、釈尊は、非常にわかりやすく、人の生まれ変わり(輪廻転生)を説明をされていますね。
人間は(動物なども含めて)、
それだけ無限の輪廻転生を繰り返してきている
と釈尊は説いているわけです。
ここでは、釈尊は、自分自身でその超人的な透視能力によって、あらゆる生命の生まれ変わりの姿をみたのでした。
ひとの人間以外の動物であった時のことも観て、その時に飲んだ母乳の量のお話をされているのです。
人は輪廻転生(生まれ変わり)をこれまでにずっと続けてきた、と釈尊はいいます。
それは無限に長い時間を何度も何度も繰り返し、生まれ変わりをしてきている、というのです。
しかも、人間ばかりの生まれ変わりではありません。
かつて動物などの他の生物であった時もあった、ということです。
しかもなんと、これまでに飲んだ母乳の総量が、ガンジス川と世界の大会の水の総量よりも多いというのです。
このように、人をはじめとするあらゆる生物は、無限の輪廻転生の輪をめぐり巡って生きているのですね。
これほどわかりやすい説明はないのではないのではないでしょう。
こうした無限ループの「輪廻転生の輪」から抜け出し、一切の苦しみのない境界を目指すのが、ブッダ釈尊が説いた仏教の教えとなります。
3、〈霊魂〉が輪廻転生を繰り返す
ここまでみてきましたよう、人は輪廻転生をくりかえしていきます。
その中では人間以外の生き物であったこともあるわけです。
いやむしろ、その場合の方が長いのかもしれません。
人が、生まれ変わりを繰り返す以上、人間以外の別の生き物であったことも考えなければならなくなります。
したがって、動物など人間以外の生き物に、〈霊魂(魂)〉がないなどということは、考えられないのですね。
では、虫や病原菌などにも〈霊魂〉はあるのか?
そこまで小さな生物になってくると、〈霊魂〉には違いはないが、それは、ひとつの〈エネルギー〉とも表現する方が良いのかもしれませんね。
みなさんなら、どう考えますか?
今回は、動物と〈霊魂〉あるいは〈魂〉、について考えてみました。
阿含経典〈1〉存在の法則(縁起)に関する経典群 人間の分析(五蘊)に関する経典群 (ちくま学芸文庫)