今回は、人を苦しめてきた人が、〈死んだ後〉にどのような状態になるのか?です。
“霊能者”という人の中には、人は死んだ後は、あの世では何の苦しみもなく、行くべきところに行くのだ、という人がいます。
確かに、そういう場合あるようですが、どうやらすべての人間がそのような気楽で平穏な死後の状態になるのではないようです。
今日は、それを考えてましょう。
1、死んだあとにも、泣き叫びながら苦しみ続ける男の姿!
まずは、非常に興味深いお話がありますので、これからみてみましょう。
仏教の開祖・釈迦(ブッダ釈尊)の弟子が、〈のっぺらぼうの肉のかたまり〉を見た場面です。
それを見てみましょう。
勒叉那比丘(ろくしゃなびく)は、大目犍連(だいもくけんれん)に向かって、こう質問しました。
「わたくしは今朝、あなたといっしょに乞食修行に出かけました。
そこで途中、あるところで、あなたが欣然(ごんねん)として微笑されました。
あのとき、あなたは、なぜあのようにニッコリと笑ったのでありますか?」
すると尊者・大目犍連は、次のように勒叉那比丘に語った。
「わたしは、あの道のなかで、一人の大きな人間が全身、皮がなくてのっぺらぼうの、肉のかたまりのようになって、虚空をふわふわと歩いていくのを見ました。
その者に、(霊的な)カラス、トビ、鵰(クマタカ)、それにワシ、野生のキツネ、餓狗(飢えた犬)がつきまとい、肉を噛んで食いちぎって食べて、さらに脇腹よりその内臓をとってこれを食っていました。
その苦痛たるや切迫し、声の限りに泣き叫びんでいる(啼哭号呼せり)。
それを見てわたしは思ったのだ。
なるほど、こういう人間(自分の欲のために身勝手な理由で、人を殺したり、苦しめた者)は、こういう体になって、こういう地獄の苦しみを受けるのだな。
そう思って、わたしは思わずニッコリと笑ったのです」
〈雑阿含経(ぞうあごんぎょう)『屠羊者経(とようしゃきょう)』より〉
2、すごい神通力の釈迦と目連尊者
ここで登場する大目犍連(目連尊者)は、釈尊の十大弟子の一人で、神通力第一と言われた人です。
その目連尊者が、勒叉那比丘(ろくしゃなびく)という、後輩の下っ端の弟子と歩いているときのお話です。
生きているときに多くの人を苦しめた人が、死んだあとの現在はカラスやトビなどの霊的存在に苦しめられている姿を観て、ニコッと笑ったのですね。
目連尊者は大神通力者ですから、こうした霊的な状態を見ることができたのですね。
続きをみてみましょう。
(その話をお聞き気になっていたお釈迦様は)
「よろしい、修行者たちよ。ただいまの大目犍連のいったことは、その通りです。
わたしもまた、この衆生の、こういう姿を見ている。
(中略)
この衆生(肉のかたまりのようになって、虚空をふわふわと歩いている男)は、過去世において、多くの人を殺し、苦しめてきました。
その罪により、すでに百千歳地獄の中に堕ちて無量の苦しみを受け、その後、いま余罪によって、このような苦しみを受けているのです。
弟子たちよ、大目犍連の見たことは真実にして正しいのです」
3、猛獣たちに、身体の肉を食いちぎられる苦しみ
この話の中で、一人の大きな人間が、「皮がなくてのっぺらぼうの、肉のかたまりのようになって」という状態で登場してきます。
もちろんこれは、大目犍連がその神通力によって“霊視”した、〈霊的な存在〉の人のことです。
ですので、一緒に托鉢に同行していたロクシャナ比丘には見えなかったのです。
さらに、こののっぺらぼうな男にたかって肉を噛んで食いちぎっている〈カラス〉や〈ワシ〉、〈野生のキツネ〉などの動物たちも、〈霊的な存在〉です。
なので、霊眼のないロクシャナ比丘には見えなかったのです。
これについて釈迦(ブッダ釈尊)が弟子たちに、わかりやすくお話をされたのですね。
4、本当の地獄は、こんなもんではない
釈迦は、さらにこの苦しみは“余罪”であって、まだまだ大したものではないぞ、とまで言っておられます。
「本当の地獄の苦しみは、こんなもんじゃないぞ! 地獄の本当の苦しみを長い間経過してから、この男はその“余罪”で、今この状態なのだ」
ということなのです。
肉体を動物達に食いちぎられる苦しみは、本当の『地獄』に比べればまだまだ序の口だぞ、ということなのですね。
目連尊者も、釈迦も、単なる道徳話ではなく、“実際に”はっきりと見ていることを話しているのです。
〈霊視〉といっても、精神を集中してやっと見えるのではなく、私たちが普通にものを見るように、霊の姿を見ているのですね。
5、なぜ、死後も苦しみ続けるのか?
ではなぜ、この人がこのような苦しみの状態に陥っているのでしょうか?
このことについて、釈迦は、明確に答えを出しています。
この衆生は、過去世において、多くの人を殺し、苦しめてきました。
その罪により、すでに百千歳地獄の中に堕ちて無量の苦しみを受け、その後、いま余罪によって、このような苦しみを受けているのです。
つまり、前生にこの世に生きていた時に、多くの人を苦しめてきたからだ、ということです。
しかも、現在の苦しみは、“余罪”であって、まだまだ軽い方だ、ともいっています。
現在の状態になる前には、もっと苦しい本当の地獄に堕ちていたのだ、とおっしゃっているのですね。
釈迦は、もの凄い神通力で、無数の人の生き死にの輪廻転生の姿を見ています。
それは人間だけではなくあらゆる生命体の輪廻する姿をも見ているのですね。
6、現代社会に当てはめると
ここで釈迦が、
「この衆生は、過去世において、多くの人を殺し、苦しめてきました」
と言っていますが、いったい、どのようなことをした人なのでしょうね。
これを聞くと、皆さんもいろいろと思い浮かぶ人がいるでしょう。
現在で言うならば、凶悪犯罪者はもちろんです。
さらには、テロリストや戦争を起こした人などは、みな当てはまりますね。
7、反社・詐欺師・テロリストたちは、みんな地獄落ち!
今の時代、「警察に捕まりさえしなければ、何をやってもいい」。
そう考えて、自分の欲望を叶えるために、平気で人を傷つけ、苦しめている人はいっぱいいますね(いつの時代でも、そうですが)。
〈金〉〈女〉〈名誉〉を得るためには、平気で人を騙して利用する者たち。
暴力団や半グレ、詐欺師など〈反社会的勢力〉と呼ばれる人たちは、死後は、地獄に真っ逆さまに堕ちて、泣き叫びながら苦しみ続けるのですね。
でも、人の〈生まれ変わり〉の真実に目を向ければ、考え方を変えざるを得ません。
それは決して、単なる道徳の話でも、かたくるしい宗教の話でもないのです。
生き生きとした〈現実〉の出来事なのです。
人を苦しめて大金持ちになった人が、晩年、安泰な人生であったとします。
でも、その人が死んだ後には、その“不徳”によって、必ず自分に、《地獄の苦しみ》となって戻ってくるのですね。
犯罪を犯して得た金を元手にして、その後は真っ当な生業で成功をしたとしても、最初に犯した〈悪業〉は消えないのですね。
7、もう二度と、人間には生まれ変われないかも!
さらには、あの世での一定の苦しみを経てから、その寿が尽きて、再びこの世に生まれてくる時の話です。
こうした深い罪業を背負った者たちは、その〈貪り(むさぼり)〉の悪業によって、次は、動物に生まれ変わる可能性が大きい。
人間に生まれてくれば、今度は改心して、良き行いをやって〈徳を積む〉という行為も、出来るでしょう。
ところが、前世において、自分の欲望を満たすために、さんざん他人を傷つけて生きてきた人です。
その〈むさぼり〉の悪業によって、人間の女性の胎内に宿ることすら出来なくなるのですね。
いったん動物に生まれ変わってしまうと、あとはもう人間には、なかなか生まれ変わることは出来ないでしょう。
そして、人間に比べてはるかに過酷な、動物としての一生を繰り返していくことになるのですね。
もちろん、再び人間に生まれくる場合もあるでしょう。
その場合には、非常に過酷な悪い運命の星の元に生まれて、苦しい人生を歩むことになるのです。
今回は、現代社会の問題に当てはめて、人の輪廻転生を見てきました。
【参考文献】
『輪廻する葦』(桐山靖雄著、平河出版社)
『君は誰の輪廻転生(うまれかわりか)』(桐山靖雄著、平河出版社)
『あなたの知らない「仏教」入門』(正木晃著、春秋社)