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エヴァンス・ヴェンツ・・・『チベットの死者の書』を“発見” した人を、簡単にご紹介します。

みなさん、こんにちは。

前に、『チベットの死者の書』について、ご紹介いたしました。
今回は、これを“発見”して、欧米社会に広めた人物についてのお話をしたいと思います。

Contents 目次

1、『チベットの死者の書』とは何か?

1、『埋蔵書(テルマ)』とは

 

まず、『チベットの死者の書』について、簡単におさらいをしておきます。

原題は、
『深遠なるみ教え・寂静尊と忿怒尊を瞑想することによるおのずからの解脱』
といいます。
チベット仏教の開祖といわれるパドマサンバヴァ(蓮華生。8世紀の人)が霊的な啓示を得て書き残したものです。

それを、その弟子であるイェシェツォギェルによってガムポダル山中に埋蔵されたとされています。
いわゆる「埋蔵経(テルマ)」と呼ばれるものの代表的なものです。

 

【関連記事】「チベットの死者の書」って、何なのか?

『チベットの死者の書』について、わかりやすく紹介します。

 

2、最初の“発見”

そして、パドマサンバヴァの第5代の転生者にあたる、北方から来たリクジン・カルマリンパ(14世紀中頃の人)によって、発掘されたとされています。(また、もっと後の時代に偽作されたという説もあるようです。)

このように『チベットの死者の書』は、真正の古密教の部分はありますが、そこに新たに捏造され追加されたところが入り混じっているとも言われているのです。

詳しくは、前の記事をご参照下さい。

 

パドマサンバヴァ

 

2、『チベットの死者の書』を“発見”した人

1、欧米人の目を開いたヴェンツ

今回の記事の主役は、エヴァンス・ヴェンツ(Walter Y.Evans Wentz、1878年ー1965年)という人です。

ヴェンツは、厳密にいいますと、“発見”した人というよりは、“再発見”した人と言えますね。
先に述べましたように、『チベットの死者の書』は、パドマサンバヴァによって著され、弟子のイェシェツォギェルによって埋蔵されました。

そして、カルマリンパによって、発掘されたとされています。

つまり、カルマリンパが発見したものを、その価値を理解し、欧米の人に注目されるように紹介したのがエヴァンス・ヴェンツなのですね。

 

 エヴァンス・ヴェンツ

 

2、聖書を読み耽った少年時代

ヴェンツは、アメリカ東海岸のニュージャージー州トレントンに生まれました。

ヴェンツの父は、ドイツ系移民で、母はクエーカー教徒のアメリカ人でした。
少年時代のヴェンツは、聖書を読みふけっていたようです。

しかし、成長するにつれて、アメリカの保守的なキリスト教に、反発を覚えるようになったようです。

そして神智学に熱中するようになります。

3、神智学に熱中するヴェンツ

神智学では、「マハトマ(叡智の導師)」から送られてくる教養の体系を、「密教(エソテリック・ブディズム)」である、と主張していました。

そして、それがチベット仏教そのものであると考えられていたのです。
チベット仏教に対する、こういう神秘的な考え方は、神智学の発行するたくさんのパンフレットを通して、欧米の人々の知識と想像力に大きな影響を与えていたのです。

 

3、チベット仏教を学ぶ

1、輪廻転生に興味を持つ

こうした背景もあり、ヴェンツは少年時代から〈輪廻転生〉に関心を寄せていたのです。
スタンフォード大学、オックスフォード大学ジーザス・カレッジに通っています。
そしてエジプトで3年を過ごしたのち、1918年にインドに渡りました。

翌年、北インドのダージリンに行ったのです。

2、インドでチベット僧から学ぶ

なぜなら、そこは、インドに突き出たチベット文化圏であり、多くのチベット人が住んでいる町だったからです。
仏教寺院には、僧たちが住み着いていたのです。

チベット僧から密教の鍛冶屋修行・瞑想法について学び、チベット密教の基礎を作り上げたミラレパやパドマサンバヴァの伝記に心を惹かれ、熱心に学びました。

 

 

4、『死者の書』との出会い

1、『チベットの死者の書』を知る

そこで若いカギュ派のチベット僧から、「自分の家に古くから伝わるお経だ」と持ち込まれたのが、この『バルドゥ・トエ・ドル(バルド・トドゥル)』なのです。

(“発見”の経緯については、ダージリンの町のバザールで買った、たくさんのチベット関連の書物の中に、『バルドゥ・トエ・ドル』が含まれていた、とも言われています)

この経典を、『チベットの死者の書(The Tibetan Book of the Dead)』と命名したのが、このエヴァンス・ヴェンツです。

 


原典訳 チベットの死者の書 (ちくま学芸文庫)

2、英語への翻訳作業

 

彼の宗教上の師匠ともなっていた、ダージリンの英語学校の校長、カジ・ダワサムドプ師の協力を得て、翻訳作業に取り組むことになります。
このカジ・ダワサムドプ師 は、当時の大変な学者でした。
「英語=チベット語辞典」を作ったり、チベット仏教の古いテキストを英語に翻訳するという仕事には、すでに相当な体験を積んでいたようです。

ヴェンツは、1927年8月12日の『チベット死者の書』の刊行に当たっては、英訳の功績の全てを故ラマ・カジ・ダワサムドプ師のものとしています。
みずからはその編集者にほかならない、としているのです。

謙虚な人ですね。

3、88才の長寿で世を去る

ちなみにヴェンツは、1931年1月、オックスフォード大学から比較宗教分野での人類学博士の学位を受けています。

1965年7月17日、カリフォルニアで88歳の生涯を終えています。

こうして、欧米、さらには日本にも大きな影響を与える功績を残した人生でした。

 


チベット死者の書―仏典に秘められた死と転生 (NHKスペシャル)

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