仏教 歴史

大乗仏教の〈多仏〉と、《功徳》とは?・・・その驚くような話が、コレ!

 

ブッダ釈尊が亡くなってから、数百年後になって始まった、「大乗仏教運動」。

 

大乗仏教の経典には、次のように様々なものがあります。

『般若経』『華厳経』『法華経』『観無量寿経』『維摩経』『勝鬘経』etc・・・

 

その大乗仏教の登場によって、いろいろな変化が現れ始めました。

 

今回は、〈仏教〉に、どのような変化が現れたのか、をみてみましょう。

 


Contents 目次

1、こうして、たくさんの〈仏〉が創り出された

 

大乗仏教が創り出されて、どのような変化があったのか?

その最大のものは、「多仏の出現」と言われるものです。

 

本来ならば、仏教の教えを説く仏というのは、釈尊お一人のはずですね。

ところが、大乗仏教におきましては、現在によく知られます様々な仏や如来が登場してきます。

さらには「無名の仏」も出てきて、それも多数にあるのです。

 

 

なので、大乗のお経は、釈尊とはまったく別の仏(諸仏)の作品ということになりますね。

しかも、それらの経典の作者は無名の仏(たち)です。

 

ですので、大乗仏教のお経というのは「仏説(仏様がお説きになったもの)」というけれども、その仏そのものが、すでに釈尊からは、かなり遠くかけ離れてしまっているのです。

 

2、『阿含経(あごんぎょう)』を真似た、〈大乗経典〉

 

大乗の経典は、釈尊がお亡くなりになって、少なくとも数百年もの後になって、次々と生み出されていき、多数あります。

しかも、その形式は、釈尊の教法をまとめた『阿含経典』をそのまま陶酔しているのです。

 

現代語訳「阿含経典」〈第1巻〉長阿含経

例えば、釈尊の実際の弟子であるアーナンダ(阿難)やシャーリプトラ(舎利弗)、そのほかの弟子たちがたえず登場してきます。

しかも彼らに、「私たちはまだ大乗の教えの理解に達していませんでした」と謝らせたりしています。

彼らは大乗の理解に達していない未熟者として、しりぞけられてしまい、物語の中ではマイナスの役割を演じさせられているのです。

 

彼らに代わって、〈菩薩〉が登場してくるのが、大乗経典の特徴です。

 

なお、初期と中期の大乗経典の独自性をあげるならば、それは、形式的には、阿含経に類似していることです。

 

ですが、その内容は、かなりの想像力に富む内容となっています。

その多くが文学的色彩の強い一種の物語(フィクション作品)となっているのです。

それを次にみてみましょう。

 

『阿含経』については、私の前の記事をご参照ください。⬇︎

『阿含経』・・・釈尊が説いた“最高の経典”が作られたプロセスを解説

 

3、修行をしなくても良い仏教になっていった

 

そうしたお経では、しだいに、まったく修行などしなくても、仏陀と等しい大菩薩になれると説かれるようになってきました。

 

本来、釈尊が説いた教えでは、

解脱の修行をすることによって、業(ごう。カルマ)の縛りから離れて、因縁を消滅した境界に入ることができる。

そうすることによって、福徳円満の人生を得ることができる」

というものです。

 

それが、大乗経典になると、そんなことは一切頓着なく、いとも簡単に仏の功徳が得られるというように説かれています。

 

 

4、現世利益が得られる〈お経〉

 

さらに、お経を読むだけで、様々な現世利益的な、功徳が得られるとも説かれているのですね。

 

それを、次にみてみましょう。

この経(法華経のこと)を読む者は、常に憂悩なく、病痛もなくて顔色が鮮白である。貧窮卑賤に生まれず醜くくもなく、人々から賢聖のごとく慕われる。天の童子を給使とし、刀杖にも毒薬にも害されることはない。だれかがこの人を悪罵しようとすれば口が閉塞してしまう。獅子王の如く堂々と闊歩することができ、知恵を以って日の照らすごとくにものを知る。

 

さらに、現実世界でのご利益だけではなく、夢の世界でのご利益も説いています。

夢の中でも良いことばかりがみられる。竜神などに恭敬されて説法している夢だとか、諸仏説法の時、自分も聴衆にまじって仏を賛嘆供養している夢だとか、また国王となっている自分が宮殿眷属および上砂の五欲を捨てて出家し菩提樹のもとで成道し転法輪したのちに涅槃に入る夢など、そうした種々の好夢を見る

さすがに現実世界で「国王になれる」とは言えなかったのでしょう。

でも、夢の中では国王になっている自分を見ることができるようです。

 

5、〈超高級車に乗れる身分〉になれる!

 

これは、『法華経安楽行品第十四』の一節です。

 

こうした、顔貌が良いとか、人々から慕われるとか、毒体に遭わないとかは、みな後の章では、さらに強調されています。

 

たとえば、次の『随喜功徳品』では、いわゆる「五十展転随喜の功徳」という、大誇張した功徳が説かれます。

そのうえで、

僧坊へ行って、このお経を聴受した人は、生まれ変わった時に好き上砂の象馬車乗珍宝輦輿を得て、天宮に成ずることもできる

と功徳が説かれています。

 

「象馬車乗珍宝輦輿を得て」というのは、現代でたとえるならば、「超高級車に乗れる身分になる」という意味です。

 

こうした現世利益的な功徳が、お経の中で説かれているのですね。

 

「五十展転随喜の功徳」とは?

『法華経』を聞いて随喜した人が次々に他人に語り伝え、50人目になってもその功徳は変わらないということ

 

 

6、まんまと騙されてしまった、民衆たち

 

大乗仏教は、これほどまでに、大きな功徳(ご利益)を解くようになるのですね。

 

しかもそれは、どこまでも「釈尊がこのようにお説きになった」という形になっているから、大変です。

実際には、どこの誰かわからない人が創作した〈お経〉なのに、釈尊の教えだと信じ込まされてしまったのですね。

 

これを聞いた人々は、

「修行らしいことをしなくても、このお経をありがたく拝聴しておればよい。

そうすると、このような功徳がいただけるのだ」

と、信じでしまったのですね。

 

これによって、大乗仏教は、広く民衆に広まることができるようになったのです。

 

 

今回は大乗仏教の代表格の『法華経』を例にあげて、どのような変化が起きたのかをお話ししました。

 

【関連記事】大乗仏教の始まりの歴史について、わかりやすく解説しました。⬇︎

〈大乗仏教〉は、どういう経緯で始まったのか?・・・超キホンの【仏教の歴史】

 

 

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