結論からお話ししますと、〈散骨〉は、絶対にしてはいけません。
ここではその理由を、わかりやすくご説明いたします。
1、なぜ、〈散骨〉がいけないのか
1、今、散骨が増えている
日本では昔から、火葬後は、お墓に埋葬するのが一般的ですね。
しかし最近は、お墓に対する考え方が多様化しているようです。
「お墓が遠い土地にある」
「お墓にお金をかけたくない」
「お墓を継ぐ人がいない」
などといった考えで、お墓はいらないという人も増えてきているようです。
こうした考えは、核家族化が進んできているのと同時に、少子化、晩婚化・非婚化が広がっていることなども要因になっているようです。
そうしたこともあって、お墓に対して軽視する人が増えてきているようなのです。
その中で、それを解決する一つの方法として、「散骨」を考える人が増えているようです。
海へ散骨する、なんて、ちょっとロマンチックなところもありますね。
散骨には、費用が安い、後継者の問題がない、などのメリットがあると考えられています。
あるいは、死後は自然に還りたいから、山林や海に撒いてほしいと考えて、本人が散骨を希望するというわけです。
このような理由で、家族が亡くなったときに、お墓を作らずに散骨してしまう人が増えてきているようです。
2、〈散骨〉は、《死後の世界》についての“無知”から生じる考え方
しかし、霊界の法則から言って、散骨は絶対にやってはいけません。
散骨を選ぶ人は、〈死後の世界〉について無知だからこそ、そう考えるのです。
少しでも霊的な感性がある人ならば、〈死後の世界〉を考えた場合、散骨が〈死後の人生〉にとって、非常に危険な方法であることがわかります。
ここでは、その理由をお話ししていこうと思います。
まず、人間は(動物も含めて)、輪廻転生(生まれ変わり)をする、ということを忘れてはいけません。
人が生まれ変わり(輪廻転生)をする以上は、後に残った人(家族、遺族)としては、霊魂(死者の魂)にとって、もっとも安らぎが得られる方法で、ご供養することが大切になってきます。
では、その供養はどういう風にすればよいでしょうか。
👉輪廻転生(生まれ変わり)については、わたしのいくつかのページに詳しく書いています。
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3、最も愛着がある《遺骨》
まず考えておかなければいけないのは、次のことです。
「死者にとって、もっとも愛着があるのは、何か?」
ということです。
その答えは、自分の肉体の分身とも言える《遺骨》なのです。
世の中には、お金に強く執着した人生であったり、子供や家族などに対する愛着を持って亡くなる人も多いものです。
でも、そういう人であっても、自分の肉体(遺骨)がもっとも本能的に因縁が深いのです。
なぜなら、人は生まれた時から(厳密には生まれる前から)、肉体に魂が宿り、それとともに生きているからです。
自分の肉体(=遺骨)に対する愛着は、無意識の中のさらに奥深い〈深層意識〉に根ざした本能的なものなのです。
ですから、その遺骨を散骨して跡形もなくしてしまうと、霊魂にとっては、極めて不安定な状態になることがわかるでしょう。
亡くなった方のためには、遺骨はちゃんとお墓に埋葬し、そのうえで丁寧にご供養をしなければいけないのです。
2、お墓で供養することの大切さ
1、お墓は肉体に代わるお霊の依代(よりしろ)
では、現世にお墓がない人はどうなるのでしょうか?
休まる場所もなければ食べ物や飲み物もないために、あてどもなくさまよって浮浪霊になり、非常に悲惨な結果を招きます。
「自分が亡くなったら散骨してほしい」
こういうことを言う愚かな人間は、冥界へ行って初めて、自分の安らぎの場がないことに気づくのです。
人間は死後も霊魂として存在します。
その霊魂には、宿るべき身体を求める性質があるのです。
しかし、肉体が滅びているため、それにかわるものが必要なのです。
それがお墓です。
お墓は肉体の代わりであり、お霊の依代(よりしろ)なのです。
お墓がなければお霊は宿るべき場所が得られず、非常な不安定に陥って苦しみます。
そして、ひとときも休まることがありません。
2、浮浪霊になる人
お墓のあるお霊(人)は、その中で休まりながら、縁のある先輩のお霊から、次の世に転生するための心構えを学びます。
しかし、お墓のないお霊にはそのような余裕はまったくありません。
ただただ飲み物と食べ物を探し歩き、宿るべき肉体を求めてさまよう浮浪霊となるわけです。
さらには肉体が欲しい、休まる場所が欲しいという切羽詰まった思いから、肉体が持てれば何でも良いという気持ちになっていきます。
そうすると、豚や犬、あるいは猫などの動物に生まれ変わってしまう場合もあります。
もし、動物に生まれ変わると、人間の頃の意識はなくなります。
豚に生まれたならば豚の意識しか持たず、ただブウブウと鳴いて餌を漁るだけです。
ですので、ひとたび動物に生まれてしまったならば、二度と人間に生まれてくる見込みは立たないと考えてよいでしょう。
【参考記事】動物に生まれ変わる人間のお話を、解説しています。 ⬇︎
3、〈散骨〉は、子孫にも悪影響を与える
1、お墓は、冥界とこの世をつなぐ『どこでもドア』
お墓は、遺骨の安息所です。
霊魂(おみたま)のもっとも因縁の深いものとは、いうまでもなくその人の生きていた時の肉体の分身である〈遺骨〉です。
そのお骨を安置して、おまつりし、霊の生前をしのび、ときには招霊の法をもって冥界から来ていただき、ご供養する場所です。
ドラえもんの『どこでもドア』のように、お墓は冥界(冥土)とこの世を繋ぐドア(扉)なのです。
遺骨を安置したお墓において、心を込めてご供養したならば、そこが冥界(冥土)とつながるドア(扉)となって、死者(霊魂)に届くのです。
もしも散骨をしてしまって、そこに遺骨がなかったならば、霊魂は拠り所を失って、子孫の供養も受け取ることが出来なくなってしまうのです。
昔から、人間はお墓を大切にしてきました。
それは、人間が死後に冥界に行くことを知っていたからです。
霊界の法則を知らない無知な人間の言葉を真に受けて、散骨などをすると、その人(霊魂)は浮かばれないのです。
〈散骨〉がいかに良くないことかが、おわかりいただけたでしょうか。
2、子孫にも悪影響を与える
海や山に〈散骨〉をしても、霊魂が自然に帰るわけでもなければ、その苦しみがなくなるわけでもない。
死者は、自分が死んだことにも気づかないまま苦しんでいる状態なのです。
あるいは、自分が死んでしまったことに気づき、パニックに陥り深い苦悩の状態になります。
(このあたりの事情は、私の別の記事『輪廻転生』の秘密を探る (『チベットの死者の書』より)に詳しく書いています。)
散骨によって、拠りどころを失った霊魂は、不安定な状態のままで苦しみ、それが子孫に悪影響を与えるのです。
もし、あなたのお家が、苦労のみ多くて、ものごとが渋滞がちで、家族もバラバラならば・・・
そして、つまらないトラブル続きで、病人やけが人が続出するような状態であったならば・・・
その場合は、〈散骨〉をしてしまっていないか、仏事が正しく行われていないのではないかと、振り返ってみる必要があるでしょう。
マスコミの宣伝なども手伝って、安直に“流行”に乗せられて〈散骨〉をしてはいけません。
正しい供養法である「成仏法(じょうぶつほう)」によって、ご供養を行わなければいけないのです。
3、大切なのは、成仏法(じょうぶつほう)による供養
亡くなった人(とその子孫)にとって、大切なのは、〈散骨〉ではなく正しい供養法でご供養
をすることです。
このことについて、『守護霊を持て』の著者・桐山靖雄師は、次のように述べています。
まず、解脱供養法を修する阿闍梨(あじゃり)が、諸法皆空のさとりを完全に体得していなければならない。
つぎに、その導師が高い霊能力を持っていて、苦悶する不成仏霊にそのさとりをつたえる力がなければならない。
そうして、その導師のさとりが、そのまま不成仏霊のさとりになって、解脱するわけである。
このように、高い境界(きょうがい)の阿闍梨が持つ、“成仏法”が必要なのですね。
何百万円という高い墓石を購入する必要はないのです。
どこまでも、高い霊能力による“成仏法”という法の力が必要なのですね。
それでもあなたは、〈散骨〉しますか!?
そう、散骨は絶対にいけません!
散骨は、NO‼︎
5、まとめ
- その遺骨を散骨して跡形もなくしてしまうと、霊魂にとっては、極めて不安定な状態になる
- お墓は霊魂の安息所である
- 散骨によって、拠りどころを失った霊魂は、不安定な状態のまま家のなかで苦しみ、それが子孫に悪影響を与える
- 正しい供養法(成仏法)によるご供養が大切
【参考文献】
『守護霊を持て』(桐山靖雄著・平河出版社)
『原典訳 チベットの死者の書』(川崎信定訳・ちくま学芸文庫)
『あなたの知らない「仏教」入門』(正木晃著・春秋社)