みなさん、こんにちは。
前回、人は死んでからのち、来世でも必ずしも再び人間に生まれ変わるものではないというお話をしました。
今回は、『沙石集(しゃせきしゅう)』から、面白いお話がありますので、それをご紹介いたします。
Contents 目次
1、母親が馬に生まれ変わった話
『沙石集』は、鎌倉時代後期の僧・無住(むじゅう、1227年-1312年)が編纂した仏教説話です。
この中に、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちた人の話があります。
それを見てみましょう。
京都に貧しい母と娘が住んでいました。
親子は、縁をたよって越後国に移るが、暮らしは一向に良くはなりませんでした。
そうしたこともあって、娘は京の都から来た念仏者の妻となったのです。
念仏者は、京の都に行って暮らそうと説得するが、母と離れることを嘆いた娘はなかなか聞き入れません。
そこで念仏者は母を説得しました。
すると母は、
「離れていても、都であなたが安心して暮らすしていると思えば、私の心は慰めれれるというものです。
それが親孝行というものですよ」
と、娘に言いました。
それを聞いた娘は、泣く泣く念仏者と上京いたしました。
さてそれから、親子はお互いに連絡が取れない状態になってしまいました。
あるとき、娘は次のような夢のお告げを聞きました。
『お前の母は、お前と別れたのを嘆くうちに病気になり、ほどなく死んだ。
今は栗毛ぶちの駄馬となって、京の都にいるだろう」
と。
そこで娘は慌てて馬になった母を、探したところ、その馬は昨日、鎌倉へ向けて連れていかれたところだったのです。
そこで使いの者に、馬を追って捕まえて帰らせようとすると、その馬は急に病気となり、死んでしまいました。
使いは手ぶらでは帰れないので、馬の頭を切って持ち帰りました。
娘はその馬の頭を袖でおおい、人目もはばからず泣きました。
ここでは何が原因で、母が馬に生まれ変わったのわかりません。
使いの者が、馬の頭を切って持ち帰るというのもすごい話だと思いますが、話の焦点としては、親が馬に生まれ変わったという点にあります。
何らかの業(ごう、カルマ)によって、馬に生まれてしまったのでしょう。
次に、別の面白いお話をもう一つ、ご紹介します。
2、前世で親だった人を食べていた人たち
昔、唐の僧侶で拾得(じっとく)と寒山(かんざん)がいました。
ある日二人は、ある在家の人の接待を受けるを受けることになりました。
ところが、人々が酒を飲み肉を食べて楽しんでいる時です。
その様子を見た、拾得と冠山はなぜか異様に笑い始めました。
そこで主人は興ざめをしてしまったという。
では、なぜ拾得と冠山の二人は、笑ったのでしょう。
後日、拾得は、師匠に次のように説明しました。
前世における親の子に対する執着心の強さから、親は畜生に転生しました。
そのため今は食べ物となっている。
彼らは、その食べ物が親とも知らずに、食べて、楽しんでいました。
それを見て我ら二人はあまりにも悲しくなって泣いていたのです。
彼らの目には、それが笑ったように見えたのでしょう
〈寒山拾得図〉
この話では、前世での親を、それと知らずに食べて、酒を飲み楽しんでいる人間の愚かさを物語ったものです。
こうしたことから、不必要な動物に対する殺生を戒めているのですね。
これらの話は説話です。
ですので、「娘が夢を見た」とか、「前世の親を食べた」というのは、実際にあった話というよりは、仏教の教訓を分かりやすい話にして作られたのでしょうね。
今回は、『沙石集』より、説話を取り上げてみました。
寒山と拾得
中国唐代中期の高僧。二人とも詩人としても有名で、画によく描かれている。
しかし、実在したかどうかは不明である。
またこの二人はそれぞれ文殊菩薩、普賢菩薩の生まれ変わりともいわれる。
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