皆さんは、最近、ご家族で葬儀を行うことがあったでしょうか?
今回は、葬式(葬儀)と、お墓について、その最新事情を書いてみたいと思います。
さらに、そうした状況を、肝心の亡くなった死者(故人)はどう感じるか、とかもちょっと考えてみたいと思います。
【参考記事】「お墓」に関しては、別の記事をご参照ください。⬇︎
Contents 目次
1、世界一高い、日本の葬式
現代の葬儀費用の全国平均を調べてみますと、なんと約231万円だそうです。
その内訳は、
- 葬儀一式費用(葬儀社へ支払うもの)が、約142万円
- 飲食設定費用(料理屋、香典業者などへ支払うもの)が、約40万円
- お布施・心付け(寺などへ支払うもの)が、約54万円
となります。
その葬儀費用は地域差が大きい。
四国が全国最低で、約149万円だそうです。
それに対して、最も高い東北では、約282万円となっています。
ここまで高額なのは、日本だけで、世界ではせいぜい数十万円です。
一桁違うそうです。
2、葬式における、死亡後のながれ
古代から葬式は世界のどの国、地域、民族においても、死者が出るとなんらかの形で行われていたうようです。
でも現代の日本において、葬式は法律によってしなけらならない、という事になっているわけではないのです。
通常、死者が出ると、医師に「死亡診断書」を書いてもらいます。
それを持って役所に行き、「死亡届」を提出します。
「死亡届」は市区町村役場で入手できます。
そして、「火葬許可書」「埋葬許可書(火葬許可書に、火葬した後に火葬場の管理者が証明印を押印したもの)」を渡されます。
その後は、どうするかについては法的に決まってはいないのです。
死者が出た時になんらかの葬式をあげるのが普通です。
でも、それは習俗や慣習であって、法律での義務ではないのです。
遺体の処理については、「墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法・ぼまいほう)」で定められています。
ここで重要なポイントは次の3点です。
- 死亡後あるいは死産後、24時間経たなければ、埋葬も火葬も行ってはならない。
- 火葬は火葬場以外で行ってはならない。
- 埋葬は、墓地以外で行ってはならない。
ということです。
火葬や埋葬が24時間の猶予が確保されているのは、万が一、死亡診断に過ちがあってはならないからです。
また、埋葬は、もし遺骨を埋葬しないのなら、墓地を作らないことも可能になってきます。
その一つのあり方が、「散骨」です。
日本で初めて「散骨」が行われたのは、1991(平成3年)10月です。
それは「葬送の自由をすすめる会」が、神奈川県三崎海岸のヨット・ハーバーからヨットで2時間ほど航行した相模湾の洋上で行われてたようです。
それまでは、法的にも「散骨」は認められていないものと考えられていました。
ただ、その後、「散骨」は規制すべきだとする声もあり、業者の「散骨場開発」を規制する条例を制定した自治体もあります。
ちなみに
私は、「散骨」は霊的な観点から言ってよくない
と思っています。
(「散骨」に関しての私の考えは、このページで書いています。⬇️)
【関連記事】散骨は、死者にとってはたして大丈夫なのか? ⬇️
3、「直葬」の増加
仏教界では「じきそう」と読み、葬祭業者は「ちょくそう」とよむようです。
どちらで読んでもよくて、今のところ統一はされていないようです。
では、「直葬」とは、どのような葬式でしょうか?
現代におきましては、大半の人は病院で亡くなります。
直葬の場合、故人の遺体を寝台車に乗せて、自宅や葬儀社が用意する一時的な安置場所に搬送します。
とりあえずそこに安置することになります。
そこで遺体を棺に納め(納棺)、近親者だけで通夜を行います。
会葬者は呼びません。
ここでいったん自宅などに搬送するのは、火葬までには24時間以上の経たなければいけないからです。
通夜がすむと、翌日、霊柩車で火葬場へ出棺します。
そして、やはり近親者だけで個人に別れを告げることになります。
そして遺体を荼毘にふせます。
最後に、収骨、骨あげをして葬式は終わります。
これが、直葬のもっとも基本的なやり方となります。
火葬場で僧侶に読経してもらうこともあれば、骨あげがすんでから、精進落としのために近親者で食事をとることもあります。
直葬では、基本的に近親者以外の会葬者を呼ぶことはありません。
ですので、「密葬」「家族葬」の一番簡略化された形態だともいえます。
4、「家族葬」が増えた背景
近親者だけで行う規模の小さな葬式全般を「家族葬」といいます。
以前は「密葬」と呼ばれるのが一般的でした。
「家族葬」は、1990年代になってから、葬儀社が発案し宣伝した言葉だそうです。
葬儀社は時代の変化に敏感で、機敏に対応しているようです。
その葬儀社が作り上げた新しいスタイルが、葬式の変化を加速させているのです。
「家族葬」では、生前に個人とゆかりのあった人たちに声をかけて会葬者(遺族以外の参列者)を集めるようなことはしません。
呼びかけるとしても、一部のごく親しい人たちだけです。
こうした家族葬が増えて来た背景には、高齢者の大往生が増え、会葬者の数が減ってきていることが背景にあります。
どうせ会葬者の数が少ないのだから、近親者だけで葬儀を済ませ、会葬者に負担をかけるまでのことでもない。
そうした遺族の希望が強くなってきたのです。
会葬者が少なくなってきていることから、通夜と葬儀・告別式を二日にわたってやる必要もない、という考えも出てきます。
そこから、ワンデーセレモニーという形式が生まれることになりました。
この場合は、通夜を葬儀・告別式と一緒にしてしまい、火葬は翌日の昼間に近親者だけで行うことになります。
通夜は近親者だけで行い、葬儀・告別式の方だけ会葬者を招くというやり方もあります。
そもそも葬式には、故人の死を悼むとともに、遺族を慰めるという役割もあります。
ですので、故人を直接に知らない遺族の関係者も、葬式に参列することがあります。
ところが、近年では、そのような個人を直接知らない人には葬式への参列を求めない傾向が強くなっているようです。
ここには、時代の変化とともに、冠婚葬祭が、家の儀式から個人の儀式へと変化してきたことをしめしています。
こうした変化がはっきりとみられるようになるのは、バブル崩壊後のことだそうです。
5、現代の「お墓」事情
前に「散骨」について少しふれました。
散骨がふえてきた背景には、「お墓」に対する考え方の変化があります。
もともと日本では、古代から「土葬」が営まれてきたのです。
そして、奈良時代以降に「火葬」も見られるようになってきました。
戦後までは、日本全国では土葬の方が多かったようです。
土葬の場合は、遺体を棺桶に入れて、それを土に埋めます。
そうすると、時間の経過とともに棺桶や遺体が腐食します。
そして土地の陥没が起こるのです。
そうである以上、土葬した上に石の墓を建てるわけにはいかなかったのです。
そういうこともあり、家単位の墓が広く普及するのは、意外にも戦後に火葬が一般化してからなのです。
ずっと以前からあるように思っていませんでしたか。
現在においては、墓は寺の境内地にあったり、公営、民営の霊園にあったりします。
一般に、わたしたちはよく「墓地を買う」といいます。
ですが、実際には、墓地を買うことはできないのです。
もし、墓地を「買う」ことができるのならば、個々の墓地は個人の私有地となります。
すると所有者がそれをどのように使おうと自由になります。
そうなると、そこに小屋を建てて居住したり、物置にすることも考えられます。
墓地の中に、家や物置があるといった、おかしな光景が出現してしまうのです。
そうなってくると当然、墓地全体の維持が難しかしくなってきます。
ですので、墓地は販売せずに、使用料をとって貸し出す形となっています。
ただ貸し出す期間が長期にわたって設定されているのが普通です。
「清掃料」「管理費」などの名目で、1年、あるいは数年に一度、使用者が金を支払い続けるシステムになっていること多いようです。
使用料を払っている限り、そこを自分の家の墓として長期にわたって占有できます。
逆に、支払いが滞り、参拝する人間がいなくなれば、その墓は「無縁化」します。
つまり、お墓は後継者の存在が前提になるのです。
家にお墓の跡継ぎがいなくなれば、それを守り続けることが出来なくなってしまうのです。
そこで、「永代供養料」を設定し、あらかじめ一定の金額を支払うことで、後継ぎがいなくなったとしても安心な「永代供養墓」というものが出てきます。
この永代供養墓にもさまざまな形態があるようです。
個人墓や納骨堂形式のもの、合同墓などがあります。
また、三十三回忌までは個人単位で供養されるものの、その後は合祀するところもあります。
6、お墓を持とうとしない人たち
さて、時代の変化とともに、核家族化が進み、少子化・晩婚化・非婚化が広がってきました。
そうしたことが要因になって、つぎのような気持ちになる人が増えてきたようです。
- 家のお墓が遠い土地にある
- 新しいお墓にお金をかけたくない
- お墓を継ぐ人がいなくて困る
こうしたこともあって、「もう、お墓なんかいらない」という人も増えてきているようです。
お墓をつくらずに「散骨」しようと考える人もふえてきました。
または、これまでのお墓とは違う形式のものを選択する人が増えてきたのです。
それは「樹木葬」「宇宙葬」「手元供養」と呼ばれるものです。
樹木葬
墓石を建てる代わりに植樹しその下に遺骨を埋葬する方法です。
宇宙葬
カプセルに入れた遺骨を人工衛星に乗せて、宇宙に打ち上げるものです。
なかには月に送られた例もあるそうです。
これは見方によっては、散骨の一種とも考えられます。
費用は約100万円だそうです。
手元供養
「自宅供養」とも呼ばれます。
遺骨を墓に埋葬せず、手近なところにおいて供養するものです。
遺骨は、納骨容器やペンダントに納めるのが一般的です。
プレートや人口のダイヤモンドに加工することもあるそうです。
そうすると普段から身に着けていることも可能になってきます。
このように、いろいろな方法が生み出されてきたのです。
7、お墓が死者を成仏させるのではない
ここまで、最近の葬式、そしてお墓事情をざっとみてきました。
わたしは、あまり奇をてらったような葬式をしたり、お墓を持つのはどうかと思います。
お墓は、大変な高価なものでなくてもかまわないのです。
お墓といっても先祖の霊魂がきちんと安らげる構造であれば良いのです。
「このお墓ならば、自分は死後も安らぐことができるな」
と思えるようなお墓を作っておくことが大切です。
いわゆる吉相のお墓を建てるには、何千万円もするでしょう。
それだけの経済的な余裕がある人は、吉相墓を立てれば良いでしょうが、普通はそういうわけにはいかないでしょう。
しかしそもそも、
墓地や墓石が死者を成仏させるのではない
のです。
どんなに吉相のお墓であっても、それはたんはる高級な「石」の塊にすぎません。
あるいは、死者が生前に好きだった形(たとえば芸術的な造形の墓石など)であったとしても、墓石が死者を成仏させるわけではないのです。
大切なのは、
死者の魂を冥界(冥土)に送り届ける“供養法(成仏法)”の力
が必要なのです。
ですので、先祖の霊魂がきちんと安らげる構造のお墓であれば贅沢なものでなくても良いのです。
お墓にご遺骨を安置して、正しい“供養法(成仏法)”を修することによって、霊魂(死者)は安らぎを得るわけです。
8、死者は、私たちをどう見ているか?
さて、ここからは、肝心かなめの亡くなった当の本人は、いったいどのように私たちを見ているか、を考えていきたいと思います。
葬式(葬儀)や、遺骨の扱いを軽く考えてしまう人は、
「人は死んでしまったら、終わり」
だと考えていることが多いようです。
はたして、本当にそうなのでしょうか?
ここでは、そうしたことを考える良い材料として、前世を記憶していた廬忻(ろきん)という牛飼いのお話を見てみたいと思います。
『増補夷堅志(ぞうほいけんし)』という古い本の中にのっているお話ですが、前世記憶の現代の報告や、臨死体験とかなり共通する内容です。
廬忻は3歳のときにはもう言葉が達者で、母親に向かって、こう言ったという。
おらの前世は回北村の趙氏の子どもで、十九歳のときに、牛を山の下のほうまで追いかけていて、ちょうど秋の雨が降ったあとで草が湿って滑りやすくなっていたため、崖下に堕ちてしまったんだ。
何とか気を確かにもって立ち上がってみたところ、自分の傍に一人の男が倒れている。
牛飼いが、自分と同じように滑って崖下に落ちたのかと、大声で呼びかけたが、反応がない。
しばらくのち、落ち着いて倒れている人を見ると、何とそれは自分自身であった。
その体に入ろうと思い、いろいろ試してみたが、できなかった。
でも体を捨てるのは忍び難くて、体の周囲をぐるぐる回ってその夜を過ごした。
なんと、そばで男が倒れていて、呼びかけていたのに、その男が自分だったと気づいたというのです。
それはそれはかなりのショックだったでしょう。
目の前に死んでいる人がいて、それが自分だったなら、どうします?
誰であっても驚くと同時にパニック状態になってしまうのではないでしょうか?
翌日、父母がやって来て、遺体を見つけ慟哭した。
自分はその場にいたので、何とかここにいることを伝えようとしたが、気付いてもらえなかった。
やがて、父母が自分を火葬にするため、その体に火をつけた。
そのときも、『焼かないで、焼かないで』となんども言ったけれども、父母には聞こえないようで、反応はなかった。
その後は、父母が慟哭(悲しみで声をあげて激しく泣くこと)する様子も見ています。
さらに、自分が火葬されるのを見ていたそうです。
火葬が終わると、お骨をツボに納めて去って行った。
自分も付いて行こうと思ったが、父母は三メートル以上という身長で、そのあまりの大きさに恐ろしくなって、付いていくことができなかった。
父母が3メートル以上というのが面白いですね。
死ぬと大きさの感覚が変化するのでしょうか?
そのあとは、どうしていいかわからず、そのあたりを寄る辺なくさまようしかなかった。
一ヶ月余りたったとき、一人の老人と出会った。
その老人が「わしが汝を連れて行って帰してやろう」というので、付いていくと、ある家に着いた。
老人はその家を指さして、「これが汝の家だ」と行った。
それで、ここに生まれて来た。それが今のおらなんだ。
これは、自分が死んだ時の状況をはっきりと記憶している事例です。
いかかでしたでしょうか?
前世の記憶の話にはさまざまなバリエーションがあり、それこそ百人百様に違います。
ですので、すべての人が廬忻のようであるとは思われません。
でも、こうしたお話を聞けば、決して人は死んでそれで終わりではないと、思われるのです。
死者(故人)は、亡くなった後も、子孫のあなたの行動を見ているかもしれません。
みなさんは今後、「お葬式」、そして、「お墓」は、どうされますか?
この記事を読んだ読者の皆様が、より深く先祖の供養について洞察を深められるきっかけになれましたら嬉しいです。
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