仏教 宗教 歴史

仏教界最大の〈しくじり先生〉・・・天台大師・智顗(ちぎ)が犯した、大きな“過ち”

 

みなさん、こんにちは。

 

みなさんは、智顗(ちぎ)という人をご存知でしょうか?

この人は、仏教を語る上では、絶対に欠かせない人なのです。

 

今回は、この智顗という人がどういう人で、どのような過ちをしたのか、を書いていきます。

そして、その歴史に及ぼした影響の大きさを、わかりやすく説明します。



Contents 目次

1、智顗とはどんな人?

1、シナの小釈迦

 

智顗という人は、シナ(現在の中国に当たる地域、国)の小釈迦とまで言われるほどの大天才です。

 

中国天台宗の第三祖で、隋の時代の僧です。

年代は538年ー597年の人です。

中国の天台宗は、智顗が実質的な開祖と呼ばれる宗派です。

法華経を根本仏典とするために、「天台法華宗」とも言います。

 

智顗の時代から約2百年後、日本の最澄(767ー822年)は、中国にわたって、この天台大師の教えを学んだのです。

そして、日本に戻ってから比叡山で開いたが、日本の天台宗です。

 

〈天台大師・智顗〉

 

2、天才が犯した間違い

 

この智顗が、実は、とんでもない間違いをしてしまったのです。

それは、〈経典〉に対して間違った価値体系を作ってしまったのですね。

 

智顗は天才です。

その天才が大きなミスをしてしまったものだから大変です。

天才というものは、たとえ間違えてしまっても壮大な間違いをしでかすものです。

 

このために、それからあとの仏教というものが、決定的に間違えてしまった。

その後の千三、四百年の間というもの、シナと日本の仏教がまるっきり間違ったものになってしまったのです。

 

これは、とんでもない〈しくじり〉です。

 

では、智顗はどのようなまちがいをしたのでしょうか。

これからそれを具体的に見てみましょう。

 

2、間違っていた『五時教判(ごじきょうはん)』

1、『阿含経』はノンフィクション、それ以外の経典は、すべてフィクションの作品

 

私は、以前に書いたBlog記事で、次のような内容の記事を書きました。

無数にある仏教の経典の中で、唯一『阿含経(あごんぎょう)』のみが、釈尊の本当の教えを残した経典である。

と。

 

このことは意外と知らない人が多くて、現在でも、世の中にある仏教経典と言われるお経が、全部、釈尊(釈迦)が説いた内容だと思っている人が多いようです。

 

でも、実際にはそうではありません。

『阿含経』以外の経典は、釈尊が亡くなってから、早くとも数百年後に徐々に作られ始めたものです。

 

ですから、当然、その内容は釈尊の説いた教えとは違ったものになってきます。

 

つまり、『阿含経』は実在した釈尊とその弟子の記録を記した〈ノンフィクション〉です。

それに対して、それ以外の経典は、すべて、作り話〈フィクション〉だということです。

 

『阿含経』・・・史実としての釈尊とその弟子たちの言行を記した、ノンフィクション

『阿含経』以外の経典・・・創作された作り話、フィクション

 

ところが智顗は、すべての経典を釈尊が説いた教えとして、理論を組み立てていったのです。

 

 

2、『五時教判』とは何か?

 

『五時教判』というのは、智顗が作り上げた、仏教の経典の位置づけのことです。

まず、「五時」とはなにでしょうか。

 

それは、次のことをあらわします。

第一時 華厳時

第二時 阿含時

第三時 方等時

第四時 般若時

第五時 法華涅槃時

です。

 

この当時、インドから西域を通って膨大な数の仏教経典がなだれ込んでいました。

そして、当時のシナの仏教関係の人々は、お経と名のつくものは、すべてが釈尊が説いた内容のものだというように信じ込んでいたのです。

 

ところが、その内容はさまざまで、しかも読み比べてみると、なかには前後まったく矛盾したものものもありました。

そこで当時の人々は、それら膨大な数のお経の前に当惑してしまったのです。

 

そうした中、天才智顗は、その膨大な数のお経を読破し、経典に見られる矛盾を「五時」という考え方で、解決してしまったのです。

 

3、最初の〈前提〉からして間違っていた

1、当時は、夢にも考えられなかった事実

 

大乗経典というものが、釈尊が亡くなってから数百年もたってから作られたものであるという事実。

こんなことなど、当時は誰も夢にも考えられなかったことです。

 

ですので、智顗をはじめとするすべての人が、

「仏教の経典は、すべて、お釈迦様がお説きになった内容を記したものだ」

という前提に立って考えていたのです。

 

しかしそうはいっても、経典を読み比べると矛盾が生じてくる。

そこで、智顗は、その天才の頭脳を振り絞ってこの問題を解決していったのです。

 

それは、どういう解決方法か?

 

 

2、智顗の解釈は?

 

それは、釈尊を、1人の優れた教育者と考える考え方です。

それは、次のような考え方です。

 

難しい教えを最初からいっぺんに説いても人々にはわかるまい。

➡︎ それで、最初は人々にやさしい教え説くことにする。

➡︎ それから次第に難しい教えに導いていくようにする。

➡︎ 最後に、真の釈尊の教えを説いたのだ、

という考え方です。

 

このような考え方によって、智顗は、すべての経典を釈尊一代の教説として解釈しようとしたのが『五時教判』なのです。

 

つまり、インドから流れてきた膨大な数の、すべての経典が、釈尊が説いたものだという間違った〈前提〉が、まずある。

その〈前提〉のもとに作り上げられた理論が、『五時教判』というものだったです。

 

 

4、これが、間違った〈前提〉のもとに作られた、『五時教判』だ!

1、五つの時期に分けてとらえようとした

 

智顗は、釈尊の生涯における説法を五つの時期に分けて考えたのです。

それが先にあげた、「五時」です。

 

その内容を次に見てみましょう。

1、第一時 華厳時

まず第一に、釈尊は、悟りを開いた直後には、弟子たちに、そのさとりの内容をそのままに打ち出して語ったとします。

そして、その時期に説かれた内容が、「華厳経(けごんぎょう)」である、というのです。

 

2、第二時 阿含時

だが、その内容を聞いたものは、まったくその内容を理解することが出来なかった。

難しすぎたのです。

 

そこで、レベルをぐっと落として、具体的な教えとして人々に語った。

その内容が、「阿含経」だとします。

 

3、第三時 方等時

そこから、今度は次第にその説法の内容を高めました。

その時に説いた内容が「維摩経(ゆいまぎょう)」、や「勝鬘経(しょうまんぎょう)」だとします。

 

4、第四時 般若時

さらに内容をレバルアップさせて説かれたのが、「般若経」を説いた時期だとします。

 

5、第五時 法華涅槃時

そしてさらに、最後の八年間には最もレベルの高い内容の「法華経」を説いたとします。

その死に当たっては、「涅槃経(ねはんぎょう)」を説いて、ついに真実の正法そのものを示したというのです。

 

以上が、天才智顗が考えた『五時教判』というものです。

 

2、おとしめられた『阿含経』

 

この智顗の学説は非常に精妙に形作られているところから、当時の人々は何の疑いもなく受け入れました。

それどころかその後もずっと広く受け入れられ、中国ならびに日本の仏教者たちの考え方を支配することになるのです。

 

そのために、本当のお経とされる『阿含経』に対する評価は、非常に低いものとなってしまったのです。

 

なぜなら、智顗の説明によれば、『阿含経』はもののわからない人々のために、程度を落として、きわめて卑近な、具体的に説き方をしたものだからです。

 

ですので、本当の高邁な仏教の内容を知りたいという人々は、みなこの経を捨ててかえりみることが無くなってしまったのです。

 

このように智顗の登場以来、『阿含経』を研究し、本気で修行しようというようなこころざしを起こすものは、まったくなくなってしまったのです。

 

 

5、智顗の間違い、その歴史における意味は?

1、どんな天才でも時代の壁を超えることは至難のわざ

 

智顗が考えた、『五時教判』は、その後の仏教の歴史を間違った前提のもとで作ってしまいました。

 

これは、ある意味で、仕方がなかったといえます。

当時のシナでは、すべての経典が釈尊が説いた内容だと誰もが思い込んでいたからです。

智顗が、サンスクリットを読めなかったという事も過ちを犯した原因でしょう。

 

現在のように世界中の情報が行き通う時代ではありません。

 

どんな天才でも、時代の常識の壁を超えることは不可能です。

ですので、智顗は結果的に間違いを犯してしまっていましたが、彼を責めることはできません。

 

しかし、そうはいっても、彼の学説のせいで、真実の釈尊のお説きになった内容の『阿含経』がおとしめられたのは事実です。

そして、その影響が千三、四百年も続いてしまった。

 

その『阿含経』のなかにおいてのみ、生き変わり生まれ変わる人間の魂を救う本当の〈法〉と〈教え〉が説かれているのです。

(このことについては、また別のページで詳しく書いていく予定です。)

 

 

智顗本人がこの事実を知ったならば、なんと思うでしょうか?

「あぁ、私は、なんてことをしでかしてしまったんだ!」

「なぜ、『阿含経』の内容を深く見抜けなかったのだ! やっちまったー!」

とショックを隠せないでしょう。

 

まさに仏教界最大の〈しくじり先生〉です。

 

2、すべては時代の必然

 

でも、智顗の『五時教判』のおかげで、その後のシナ(中国方面の地域)や日本の大乗仏教の発展があります。

 

さまざまな素晴らしい仏教美術や芸能、行事・しきたりが生まれました。

大乗仏教の発展がなければ、日本のカルチャーも、かなり色褪せたものになっていたでしょうね。

 

これはやはり、時代の必然だったといえるのでしょう。

 

現在では、専門の仏教学者や歴史家でなくても、『阿含経』が本当の釈尊の教えを説いた最も尊い経典であることが、広く知られるようになってきています。

 

 

 

今回は、天台大師智顗の『五時教判』について、簡単にまとめました。

これは、仏教と、その歴史を知るには、絶対に知っておかなければならない内容ですね。

 

6、まとめ

 

  • 智顗という人は、シナの小釈迦とまで言われるほどの大天才だった
  • 仏教の経典の中で、唯一『阿含経(あごんぎょう)』のみが、釈尊の本当の教えを残した経典である
  • 『五時教判』というのは、智顗が作り上げた、仏教の経典の位置づけのことである
  • 智顗の登場以来、『阿含経』を研究し、修行しようというような志を起こすものがいなくなってしまった
  • 智顗の『五時教判』のおかげで、その後の大乗仏教の発展があり、様々な仏教美術や行事・しきたりが生まれた

 

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