みなさん、こんにちは。
仏教のお経といわれるものには、たくさんの種類がありますね。
でも、『阿含経』以外のお経が、フィクション作品だったというのをご存知ですか?
今回は、それについてわかりやすく書いてみました。
Contents 目次
1、ただ一つを除いて、あとはフィクション作品だった!
1、ほとんどすべての経典がニセモノという事実
世の中に、仏教の経典と言われているものは、無数といっていいほどにたくさんありますね。
ふつう、ひと口に七千余巻といわれています。
ざっと思い浮かぶお経をあげるだけでも、いろいろと出てきます。
般若心経、法華経、阿弥陀経、大日経、観音経・・・など
実に、おびただしい数です。
でも、そのほとんどは、実はブッダ釈尊(釈迦)が実際にお説きになった内容ではなかった、というのをご存知でしょうか。
私たちは、なんとなく「お経というものは全部、釈迦が説いた内容が書かれているもの」と思っているのではないでしょうか。
私も実は、以前まではそうでした。
でも実際には、ただ一つを除いてほとんどのお経が、釈尊がお亡くなりになってから、なんと何百年も経ったのちに、作られたものだったのです。
名前だけ釈尊(とその弟子たちも)のお名前を借りてはいるけれども、その内容はまったく別な後世の人たちが作ったお経なのです。
現代でしたら、そんなことをすれば、たちまち偽作問題が起こって大変なことになってしまいますね。
でも、大昔のことですし、それがそのまま押し通って現代にいたっているわけです。
そうして、それらの偽作の経典をよりどころにして、これまでさまざまな「宗派」が建てられたのです。
2、『阿含経』が真実を記したお経である
これに対して、『阿含経(あごんぎょう)』は、ブッダ釈尊が実際にお説きになった説法を、そのまま収録した唯一の経典です。
この阿含経以外には、釈尊の説法を記した経典は一つもないのです。
これは驚くべきことですね。
まさにこの阿含経だけが、釈尊の説法を文字にしたただ一つのお経だったのです。
仏教と言われる釈尊の教えは、いうまでもなく今から二千数百年前のインドにて、実際に活躍されたブッダ釈尊(釈迦)の教説から始まったものです。
では、その釈尊の教説は、どのようにして伝えられてきたのでしょうか。
それは、いわゆる三蔵(経蔵、律蔵、論蔵)の三種類の文献として、いまに伝えられてきたのです。
つまり文字をもって伝えられてきたわけです。
ちなみに「三蔵法師」というのは、この三蔵に精通した僧侶のことを言います。
孫悟空の「西遊記」に出てくる三蔵法師も、その一人です。
さて、通常はだれしも、経典なるものは、釈尊ご自身でお書きになったか、それに近いものと思われがちですよね。
でも実際には、釈尊ご自身は、生前、自分の教えについては、弟子たちに口頭でお話しましたけれど、筆を執って書き記すということはされなかったのです。
そのことについて、次に見ていきましょう。
2、世界の4大聖人の共通点
1、自分では書き物をしなかった4人
世界の4大聖人として、次の4人があげられますね。
- ソクラテス
- イエス・キリスト
- 釈迦
- 孔子
この4人ですが、実は面白いことにそろって自分では何にも書き物を残していないのです。
この4人は、人類の進歩に多大な貢献をした素晴らしい教えを残されました。
けれどもその教えとその行動は、すべて弟子たちが書き残したのです。
〈ソクラテス〉
ソクラテスの場合は、プラトンやクセフォノンなどの弟子たちが、その死後に書き綴ったものです。
イエス・キリストの場合も、その弟子たちがそれぞれの記憶に残るものを書き綴ったものが、『福音書』となっています。
孔子もまた、弟子たちがその語録をまとめて、それが『論語』となっているわけです。
2、釈尊の教えは、その直弟子たちがまとめた
釈尊の場合も同様です。
亡くなられてから間もなく、その弟子たちが集まって、その教えと生活上の規律をまとめたのです。
その時に編集された教法の集録を、今日、『アーガマ(Agama、教えの伝承)』と呼ぶのものです。
それ以後、釈尊の教団において大切に受け継がれてきたわけですね。
これが、漢訳されたのが『阿含経』と言われるものです。
ですので、この『アーガマ』こそ、いま、われわれが手にするすべての仏教経典の源泉になっているものなのですね。
規律をまとめたものは、『律蔵(りつぞう)』と言います。
これには、仏教教団における戒律や、行事などの成立の理由・物語が記載されています。
3、『論語』『福音書』『阿含経』
1、釈尊を知るには『アーガマ』のみである
そこで、わたしたちがはっきりと認識しておかなければならないことが2つあります。
それは次の2つです。
- もろもろの経典の中で、最初に成立した文献が、この『アーガマ』である
- 釈尊の教法をじきじきに伝えるものは、この『アーガマ』において他にはない
ということです。
つまり、孔子における『論語』の位置を占めるのが、仏教においてはこの『アーガマ』なのです。
また、キリスト教における『福音書』に相当するものが、仏教においては『アーガマ』である、ということになります。
さて、この『アーガマ』経典は、のちにシナ(現在の中国)に伝えられて漢訳されたのが『阿含経』ということになります。
ちなみに、〈阿含〉とは『アーガマ、Agama』という音(オン)をそのままに文字にしたものです。
ですので、阿含という文字そのものには何の意味もありません。
2、パーリ語のと漢訳のと、二種類がある
現在、私たちがこの『アーガマ』を手にしようとしますと、その主なものが次の2つあります。
- パーリ五部(南方所伝)
- 漢訳四阿含(中国所伝)
です。
このパーリ五部のパーリというのは、インド・アーリアン語の中の、〈プラクリット〉と呼ばれる言葉の一つです。
〈プラクリット〉というのは、地方語(方言)の一種です。
むかし、中部インドのマガダ地方で使われていたものと考えられています。
このマガダ地方が、釈尊の活躍された主な舞台です。
釈尊とその弟子たちは、この言葉を語っていたものと考えられています。
その言葉で伝えられたものが、セイロンに伝えられて、そのまま聖典用語として今日にいたっているのです。
このパーリ語でしるされた『アーガマ』が、五部に分かたれているので、それを『パーリ五部』と呼んでいるわけです。
3、五部に分けられるアーガマ
ところで、そのパーリ五部というのは、次のようなものです。
- 『長部経典』・・・比較的長い経典(34経典)
- 『中部経典』・・・中ほどの長さの経典(152経典)
- 『相応部経典』・・・小さな経典(7,762経典)
- 『増支部経典』・・・数字によって編集されている経典(9,000以上の経典)
- 『小部経典』・・・のちにできた経典群(15経典)
このように、膨大な量の経典が今日に伝えられているのです。
これに対して、『漢訳四阿含』というのは、中国に伝来して、中国で訳出された阿含の四部経典を言います。
『漢訳四阿含』は、次のようになります。
- 長阿含経(30経典)
- 中阿含経(224経典)
- 雑阿含経〈ぞうあごんぎょう〉(1,362経典 )
- 増一阿含経〈ぞういちあごんぎょう〉(472経典)
『パーリ五部』の4部と『漢訳四阿含』は、完全に一致するのではありませんが、だいたいにおいてそれぞれに相当するものです。
漢訳の方は、『パーリ五部』に比べると、最後の『小部経典』に相当するものが欠けています。
そのために四部しかありません。
おそらく、『阿含経』が中国に伝えられたころには、まだその小部の編集が出来上がっていなかったのだろうと考えられています。
ごく近年までは、日本の仏教者たちは、漢訳でしか阿含にふれることが出来ませんでした。
しかし、ここ数十年の間に、語学の発達により、学者は原語でこれらの『アーガマ』経典に接することが出来るようになってきたのです。
4、仏教イコール『阿含経』
1、最も大切で根幹のお経
このように、この『阿含経(漢訳四阿含、パーリ五部)』だけが、釈尊のご説法を文字にした、ただ一つの経典だ、ということです。
つまり、仏教イコール『阿含経』というわけですね。
『阿含経』なしには仏教は語れない。
それくらい、仏教を語るには、最も大切で根幹のお経が、『阿含経』だというわけです。
2、「大乗経典」とは?
では、『阿含経』以外のお経はどうなのでしょうか?
お経には、般若経、法華経、阿弥陀経、大日経、理趣経など、さまざまなものがありますね。
これらは、いわゆる「大乗仏教」の経典と言われるものです。
これら大乗経典は、釈尊がお亡くなりになってから、早いものでも数百年の後になってから、徐々に作られ始めたものです。
遅いものでは、釈尊がお亡くなりになってから千年以上も後に作られたものまであります。
ですから、その中に登場する釈尊や弟子たちは、実在した釈尊とその弟子たちとは全く違うものとのなっています。
つまり、完全にフィクション(創作された物語)ということなのです。
簡単にまとめると、次のようになります。
- 阿含経(漢訳四阿含、パーリ五部)・・・ノンフィクション。実在の釈尊とその弟子たちの記録
- 大乗経典・・・(般若経、法華経、阿弥陀経etc...)・・・フィクション。釈尊の没後、数百年後以降に作られた創作物語
このように、『阿含経』と、それ以外の経典とは大きな違いがあることがわかりますね。
今回は、『阿含経』のアウトラインを簡単に解説しました。
「大乗経典」に関しては、また改めて、詳しく解説していく予定です。
次回は、『阿含経』がまとめられたときの弟子たちの様子や、プロセスを描写していきたいと思います。
5、まとめ
- 世の中に、仏教の経典と言われているものは、無数といっていいほどにたくさんある
- 『阿含経』のみが、釈尊の教法を伝えるお経である
- ソクラテス、イエス・キリスト、釈迦、孔子の4人は、自分では書き物をしなかった
- 孔子における『論語』、キリスト教における『福音書』に相当するのが、仏教においては『阿含経』である
- パーリ五部(南方所伝)のと漢訳四阿含経(中国所伝)のとがある
- 「大乗経典」は、数百年もの後になって作られた創作物(フィクション)である
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