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〈運〉が良いとは、どんなことを言うのか?・・・『新史太閤記』より

 

みなさん、運が良いということは、どう言うことを意味するのかを、深く考えたことはありますか?

なんとなく、「運が良い」とか「運が悪い」とか考えたりしますけど、では具体的に、一体どう言う人のこと運が良いと言えるのでしょうか?

 

Contents 目次

1、運が良いとは

 

何をするにしても、人間というものは、運が悪くてはどうにもなりませんよね。

人生は、運が第一ではないでしょうか?

 

ここでは、それを考えるために、司馬遼太郎の小説を取り上げてみます。

 

1、『新史太閤記』

 

司馬遼太郎の、『新史太閤記』に、豊臣秀吉(羽柴秀吉)の運の良さを表現する部分があります。

これをみてみましょう。

 

中国攻めの陣で、羽柴秀吉は、備中高松城を水攻めにすることにした場面です。

黒田官兵衛孝高(くろだかんべえよしたか)がこれを宰領した(取り仕切った)。

高さ、10メートル、幅20メートルの堤防を、延々4kmにわたって築いて、平地にある高松城を囲んでしまおうというのです。

この堤防が満々と水をたたえたとき、高松城は、湖の中心となって水没するだろう、との目算です。

 

しかし、その水をどうするのか?

城の近くに二つの川が流れている。

この川を合流させ、流れを変えて堤防の中に注ぎ込もうというのです。

 

この大工事を、人を動かすこと天下無類の大名人である秀吉は、わずか12日で完成させたのです。

水は徐々に流れ込んでゆく。

が、堤防に立って様子を眺めていた官兵衛は、「これはいかん」と思った。

これは無理だと思ったのです。

 

できたての人口の湖は、流れ込む水の相当量を大地に染み込ませてしまって、水を貯めるというところまではいかないのです。

この分では、いつになったら城が水没するほどの水量になるのかおぼつかない。

水没するところまで行かなければ、城かたは降参するはずはないのです。

そのうちに、広島の本城から、毛利の援軍が駆けつけるのは目に見えています。

 


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2、官兵衛はこの点で戦国人であった

 

ここからは、『新史太閤記』からそのまま引用しましょう。

(これはむりだ)

と官兵衛はひそかに思った。

(略)

が、官兵衛の心憂は、杞憂におわった。

築堤竣工して七日後、それまで空梅雨かとおもわれた天が、にわかに変わったのである。豪雨が降った。豪雨が、三日も降りつづいた。陰暦五月は梅雨の季節である。以下にその季節とはいえ、まるで天をくつがえしたようなこれほどの雨がふるというのはまれであろう。

川上も湖水も増水した、みるみるうちに人造湖の水嵩があがり、二日目には、城の丘が水没し、三日目には城楼の一階はことごとく水面下になり、樹々も梢が水面上に顔を出しているだけの光景になった。城兵たちは二階にのぼり、梢の上に板を渡し、簀をかけてそこに起居した。かれらにとって敵よりも水とのたたかいであった。官兵衛は舌を巻いた。

水にではない。

羽柴筑前守という、自分が見込んだあの男の運のよさに対してであった。官兵衛はこの点で戦国人であった。才器力量があっても、運のわるい男を数かぎりとなく官兵衛はみてきた。力量門地がそろっていても天運の援助のない男を、官兵衛は巨人とはおもわない。小事をなすのは力量である。大事をなすのは天運である。と官兵衛はおもっていた。

このように、秀吉の運の良さについて、名宰相・黒田官兵衛は、痛感したわけですね。

 

〈太閤秀吉〉

 

3、「筑前はいい」

 

続きを見てみましょう。

(あの男には、天運がついていそうだ)

そうおもったが、しかし天運といってもこの時期、ほんの来月にやってくる本能寺の変という巨大な事態のころがりこみまでを、官兵衛は予想しいたわけではなかった。しかしながら、

(筑前はいい)

と、自分の見込みがはずれなかったことをひそかによろこんだ。もはやためらう必要はなかった。あの男を輔け(たすけ)、命を賭けてあの男のためにはたらき、あの男を押したてることにっよって我が身の運をひらくべきであろう

ここにありますように、『本能寺の変』という、のちの天下統一を果たすことになった最大の運が、秀吉に転がり込んでくるひと月前の出来事の描写です。

 

この中で、官兵衛のこの着眼を、「この点で戦国人であった」と言っていますね。

しかし、これは何もこの時代だけではなく、現代においても、官兵衛的な着眼は非常に大切なことでしょう。

 

〈黒田官兵衛〉

 

2、今の時代をどう生きるか

運が悪かったらどうしようもありませんね。

それは戦国時代に限りません。

むしろ、現代社会では、戦国時代以上の苛烈な時代ともいえますね。

 

どれほど才能にあふれていようとも、どれくらいの能力があろうとも、運が悪かったら絶対にダメなのです。

 

また、人間というものは、誰もが社長になったり、誰もがリーダーになれるわけではありません。

ですから、黒田官兵衛のいうように、運の良い大将を選ぶことが大切です。

現代ならば、運の良い社長を選んで、そこに身を寄せて、自分の能力・才能・運をできるだけ伸ばすようにすべきだと思います。

 

 

もちろん、ただ運が強いだけでは仕方がありません。

強い運を基礎にして、必死の努力を重ねていくことが大事です。

そうすると、必ず大きな成果を得られるのですね。

 

けれども運が悪かったのでは、死に物狂いの努力をしても、努力が実ることは少ない。

むしろ努力をすればするほど裏目に出て、逆に窮地に立たされてしまうことだってあります。

 

仕事でも、恋愛や結婚でも、スポーツ競技などでも、運ということが非常に大切になってきます。

人は運の強いところに身を寄せて、そして自分の能力・才能・運を大いに伸ばす努力をするべきでしょう。

 

今日は、〈運〉ということについて考えたことを書いてみました。


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