みなさん、こんにちは。
今日は龍神様のお話です。
〈龍神〉って、いったい何なのでしょうか?
龍神といえば、アニメの『ドラゴンボール』の、神龍(シェンロン)を思い浮かべる人も多いでしょう。
『ドラゴンボール』では、各地に散らばった〈ドラゴンボール〉を5つ集めると、神龍(シェンロン)が出てきて、願い事をかなえます。
実は、このシェンロンは、本当にいるのです。
ただし、本物の龍神と会えるには、ドラゴンボールを5つ集めるよりも難しいかもしれません。
今日は、その龍神(神龍、シェンロン)さまと、龍神が守護につくと人はどうなるのか、についてのお話をしていきたいと思います。
Contents 目次
1、龍神は、昔も今も人気者
1、シェンロン
アニメの『ドラゴンボール』にでてくる神龍(シェンロン)。
『ドラゴンボール』の場合は、登場人物たちが必死になって〈ドラゴンボール〉を集めることに奔走しています。
なぜなら、ドラゴンボールを五つ集めると神龍(シェンロン)を呼び出すことが出来るからですね。
シェンロンは何でも願い事をかなえてくれるのです。
5つのドラゴンボールの前で、
「出でよ、シェンロン。そして願いをかなえたまえ」
の言葉で出現します。
別の神龍では、
「タッカラプト、ポッポルンガ、プピリットパロ」
の呪文で出現するのでしたね。
シェンロンへの願い事は、基本的にどんなことでもかなえることが出来るようです。
一度死んだ者でも生き返らせることが出来るのです。
2、龍神とシェンロンとの違い
ここまではアニメの世界のはなしです。
では、本物の龍神の場合はどうでしょうか?
ちなみに、「神龍」は、『日本語大辞典』では、
「神通力のある龍。霊妙不思議な龍」
と書かれています。
「龍」と「神」の順が逆ですが、意味としては同じと考えてよいでしょう。
『ドラゴンボール』のシェンロンと本物の龍神とは違う点がいくつかあります。
それは次の点です。
- “5つ集めると龍が出現する”という玉はアニメだけにある物である
- 本物の龍神は、あちらの意思で出現する
- シェンロンは、願う方に邪心があっても願いをかなえる(フリーザやベジータの願いでも、叶える!)
- それに比べて、龍神は、邪心がある者の願いは聞かない
- そもそも心がけの悪い人には、龍神を探し求めても、縁がない
- 龍神は、高い理念を持った人を守護するために出現する
このように、本物の龍神様は、『ドラゴンボール』のシェンロンに比べると違う点が多々あることがわかりますね。
2、龍神という、高い存在
1、龍神とヘビとはまったく違う
さて、龍神といえば、全国の多くの神社仏閣で、龍神様がお祀りされて信仰の対象となっています。
また、スピリチュアルが好きな人は、龍神が好きな人も多いのではないでしょうか。
そういった神さまがいるのだということで、その性格とかは、あまり深く考えてはいない人も多いでしょう。
なかには龍神を、ヘビを神格化したものだ、と考えておられる方もいるでしょうね。
ヘビ(蛇)は、風水でも縁起ものといわれています。
縁起物として、ヘビの置物を玄関に置いたりする人も多いようです。
さらには、ペットとしてというよりは、自分や家族の運気をあげるという目的のために、実際に金色(黄色)の蛇や白蛇などを飼育している人もいますね。
こうしたことから、ヘビと龍神を同類のものと考えたり、ヘビのさらにパワーアップしたものが龍神だと思っている人もいるようです。
でも、龍神とヘビとはなんら関係もないのです。
2、〈龍神〉というエネルギー
では、そもそも龍神とは何なのでしょうか?
それはひとことで言いますと、次のようになります。
龍神とは、
「大神通をあらわす、ひとつの意思を持った巨大なエネルギー」
なのです。
その大神通のエネルギーが、わたくしたちにその存在を示そうとするときに、〈龍〉という形状をもって現れるのです。
ですので、それは、人が作り上げたものではなく、もっと偉大な存在の意思によりあらわれたものです。
人が龍の〈木像〉や〈絵画〉を描いて、それを信仰したためにできたというのではないのです。
人が像を作ったり描いたりする前に、向こうから現れたものなのですね。
それを昔の霊感を持った人が、“感得”したのです。
大神通のエネルギーが、わたくしたちに、その存在を示そうとするとき、どういう形状をもってするか?
それは、そのエネルギーがわたくしたちの意識の中でそれに一番近いもののかたちをとるとき「龍」という概念になるのです。
「龍」は、わたくしたちの想像の中で神霊的なものとして心の奥底に定着しているのです。
「風を呼び、雲に乗って大自在力をふるう」という、神霊的な存在(エネルギー)です。
信じる信じないにかかわらず、意識の底にうけつがれているのですね。
そして、このエネルギーがわたくしたちのこころのエネルギーに感応して、ひとつの形状をあらわすとき、「龍」という形状をとるのです。
ですから、龍神は動物のヘビとは、何の関係もないのです。
超像Artコレクション ドラゴンボール スーパーサイヤ人 孫悟空
3、ムチャリンダ龍王
ここでは、仏教において現れた龍神をみてみましょう。
1、ブッダ釈尊に最初に帰依した存在とは?
仏教の開祖である釈尊(ブッダ、釈迦)が正覚(さとり)をひらいて、一番最初に帰依した(弟子になった)者は誰だと思いますか?
一般には、「五比丘」と言われています。
でも、前に私が書いたウパカについての記事にも触れましたが、五比丘の前には、二人の商人が釈尊に帰依して、弟子になっています。
ところが実は、その二人の前に釈尊に帰依していた者(?)がいたのをご存じだったでしょうか?
それは、「ムチャリンダ龍王」という龍神なのです。
釈尊がさとりを開いて、最初に帰依したのがこの龍神なのです。
【関連記事】ウパカについて興味がある方に、オススメ記事です。⬇︎
2、釈尊に最初に帰依した龍神
ここでは、そのムチャリンダ龍王が釈尊の前に出現した場面を、次に見ていきましょう。
釈尊がウルヴェーラー村、ネーランジャラー河の岸辺の菩提樹の下でさとりをひらき、七日間、三昧にはいっていました。
七日過ぎてのちに、その瞑想から起きあがって、ムチャリンダ樹のあるところに赴き(おもむき)ました。
そして、ムチャリンダ樹のもとでのことです。
七日のあいだ、ずっと足を組んだままで解脱の楽しみを享け(うけ)つつ座しておられた。
ところがそのとき、時ならぬのに大雲がわき起こり、七日のあいだ雨が降りつづき、寒風が吹いた。
そのときムチャリンダ龍王は自分の龍宮から出て来て、世尊(釈尊)の身体を七重にとぐろ巻きにして、その頭上に大きなあぎとで覆いをつくった。
「世尊に寒さが来ないように。
世尊に暑さが来ないように。
世尊にあぶ、蚊、風、熱、蛇が触れることのないように」
と思って。
そしてムチャリンダ龍王は七日過ぎてのちに、世尊が瞑想から出られ、天空に一片の雲もなく晴れわたったのを知って、
世尊の身体からとぐろを解いて、自分のすがたをかくして、童子のすがたを現わして、合掌して敬礼して、世尊の前に立った。
そこで世尊はこの意義を知って、そのとき次の(詠嘆の詩)を唱えられた。
満足して、教えを聞き、神霊を見るならば、孤独は楽しい。
人々に対して害心なく、生きとし生けるものに対して自制するのは、楽しい。
世間にたいする貪欲を去り、もろもろの欲望を超越することは楽しい。
(おれがいるのだ)という慢心を制することは、実に最上の楽しみである。
と。
3、実際にあった、龍神の出現
これは、仏典(『阿含経(あごんぎょう)』の「四衆経」)に記載されている風景です。
これを読んで、たんなる神話とか作り話だといってしまう人もいます。
ですが、これは作り話といった類(たぐい)のものではなく、事実なのですね。
事実として、ムチャリンダ龍王という龍神が自分の意思で出現して、釈尊をお守りしたのです。
では、もしこの光景を、人が見たらどうでしょう。
このムチャリンダ龍王(龍神)は、実際に人の目に見えたのでしょうか?
おそらく、見えた人もいれば見えなかった人もいるのではないかと思います。
霊眼のある人であれば、「見えた」でしょう。
あるいは、見えなくとも、感じる人もいたのではないでしょうか。
大神通のエネルギーが、わたくしたちにその存在を示そうとするならば、見える人も多いかもしれません。
現代ならば、写真や動画に写って証拠として残ることでしょう。
4、龍神が守護につくと、どうなるのか?
1、すぐそこにいる龍神
このように、龍神(龍王)というのは、仏法をはじめ守護の大神変力なのですね。
そういう意思を持った巨大なエネルギーなのです。
そして、釈尊の成道(さとりをひらくこと)以来、現在もわたくしたちのところにいる(存在する)のです。
このように釈尊の大神変力は、時間と空間を超えて、永遠にわたくしたちによびかけておられるのですね。
それは、すぐそこにいるかもしれません。
そして、世のため人のためという、素晴らしい志をもっている人に、龍神があらわれるのです。
2、龍神の守護で、〈非凡な力〉を持つことができる
では、龍神が守護につくと、人はどうなるのか?
それは、
「広大なる事業創建の志を持つ」
ようになるのです。
龍神が守護につくと、ただ単に龍に守られているということだけではありません。
それでは〈守護霊〉の守護するところと、なんら変わらなくなります。
そんな程度ではなくて、龍神が守護につくと、まず性格が一変します。
そして非凡な力を発揮するようになるのです。
もともと素晴らしい志を持った人に、龍神が守護に現れるわけです。
それがさらにパワーアップすると考えれば良いでしょう。
ここが龍神の凄いところなのですね。
3、龍神様が守護につくと、人は、性格が一変する
では、どのように性格が変わるのでしょうか?
それは、いわゆる“英雄”の性格になるのです。
龍のこころについて、密教の経典『大日経』に説かれています。
そこでは、
「広大の資材を思念す」
とあります。
つまり、性格が、気宇広大になるために、豪奢壮大を好むのです。
ケチくさいことが大嫌いになります。
いまだかつて、ケチくさい英雄なんていたためしはありませんね。
英雄ですから、人のとうていできないような大事業を成し遂げる性格と能力を持つのです。
それだけに、ものごとを考えたり実行する上において、常人の発想と規模がまるっきり違ってきます。
普通の人の千倍万倍の規模でものごとを考える。
そのようにできています。
そういう性質を持っているから、仕事以外の面においても、自ずからそういう性質が出てきます。
家などをつくっても、土地を手入れしても、家財をととのえても、常人の千倍万倍という性質が出てきます。
ですので、普通の人の肝っ玉をひっくり射返すようなことをする。
それが、「広大な資材を思念す」ということです。
三国志の英雄・曹操における銅雀台の構築や、日本の英雄・豊臣秀吉の聚楽第などは、そのよい例です。
新史 太閤記(上下) 合本版
しかし、この
「広大な資材を思念す」
というのは、たんに物品資材のことだけを指しているのではありません。
ここで、『大日経』の注釈書などでは、次のようにいいます。
「龍は多貪無厭(たどんむえん)にして、常に広大の資材と勝妙の珍宝とを志求して止まない。
密教行者にもしこの多貪無厭あればこれを龍趣の心と名づける。
これは前生が龍趣出会ったため、その習慣がつもって性癖となっているのである」
と。
広大な資材や珍宝を求めて大きな貪心を持っているのは、何も龍にかぎったことではありません。
それならば、むしろ貪心を持った人や、商人心を持った人と変わりません。
しかし、龍神による「広大の資材を思念す」とは、たんに財物だけではないのです。
英雄本来の規模広大なる構想力とそこから出てくる強い自負心です。
英雄の長所も短所も、実にここにあるのですね。
英雄の心の中にあるのは、広大なる事業創建の志なのですね。
単なる物質的な欲望な度ではない、もっと気高い崇高な精神なのです。
よく簡単に龍神を守護にできるようなことを書いている人がいます。
そして、龍神を守護につけることによって、大金持ちを目指そうとする人がいますね。
ですが、そもそも心がけが悪い人には、龍神はそっぽを向いてしまうのですね。
〈ドラゴンボール〉なるものを実際に五つ探し出すのは、かなり難しいでしょう。
でも正しく世のために、という高い理念と志を持っている人に、龍神が守ってくださることがあるのですね。
今日は龍神様について、そのお力と性質についてのお話でした。
みなさんも、龍神を守護につけて、スーパーサイヤ人(スーパー・ヒューマン)になって、最高の生き方をしてみませんか?
5、まとめ
- 『ドラゴンボール』のシェンロンは、願う方に邪心があっても願いをかなえるが、龍神は、邪心がある願いは聞かない
- 龍神とヘビとはなんら関係もない
- 龍神とは、大神通をあらわす、ひとつの意思を持った巨大なエネルギー
- 釈尊がさとりを開いて、最初に帰依したのがムチャリンダ龍王である
- 龍神が守護につくと、人は「広大なる事業創建の志」を持つようになる
- 心がけが悪い人には、龍神はそっぽを向いてしまう
【参考文献】
『龍神が翔ぶ』(桐山靖雄著、平川出版社)
『輪廻する葦』(桐山靖雄著、平川出版社)
『バウッダ・佛教』(中村 元 、三枝 充悳著、講談社学術文庫)
『修験道の本』(学研)
【参考記事】本当の守護霊を持つ人と、そうではない人とは天地雲泥の差。⬇︎